地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

秩父狂の宴2016 (2) デキ三色並び

2016-06-17 20:05:00 | 地方民鉄 (秩父)


 早いもので、秩父ファンをアツく興奮させた広瀬川原イベントから1ヶ月……。その終了後に展開したチョコバナナデキ+ナナハチというスペクタクルを真っ先にアップして以来、その他のシーンを全くレタッチ・アップしそびれていました (滝汗)。というわけで、「何を今さら感」は否めませんが、あくまで備忘録として当日のハイライトシーンをちまちまとアップします。秩父ファンにとっての当日の華がチョコバナナデキ502であった以上、脇にデキ201と108を従えた三並び絵巻も……ということです。



 それにしても、色彩的に今ひとつハズれた感もあった赤デキと比べれば、今回のチョコバナナは本当に、他の色の罐とも良く馴染んで美しい……。もうこの際、デキ300・500の中からもう2~3両ほどチョコバナナにしても良いのではないか?!と思うほどです (^^;)。
 いっぽう、脇に茶色デキ201とヒサシ罐デキ108を並べて下さったのは、本当に秩父冥利に尽きます。デキ201は今や、特徴的なゴツい台車を履いた唯一の車両ですし、デキ108はデキ107が運用から離脱して部品取り車となった今や、松尾鉱山の最後の生き残り……。国鉄EF15を彷彿とさせる姿は心から惚れ惚れとします。あるいは今後デキ108については、松尾鉱山色に塗るなどという超サプライズが……あるわけないですね、スミマセン (^^;)。

ハノイ以北サウナ鉄 (2) 夜明けの貨物入換

2016-06-16 15:52:00 | ベトナムの鉄道


 満鉄客車を連結した一日一往復の行商列車に乗るにあたり、前回はハロン 下龍 からの上り列車に乗ったことから、今回はハノイ北郊のイェンビェン 安園 を早朝4時55分に発車する下り列車に乗ることにしました。とりわけ下り列車に乗れば、行商客の荷物を積み込むための長時間停車の回数が多く、積み込み風景を撮影出来るだけでなく、罐を先頭にした編成写真を撮影するチャンスも増えるということで……。
 ただ、とにかくイェンビェン駅は郊外にありますので、ハノイ中心街からタクシーを飛ばす場合、朝4時頃には出発する必要があります。とはいえ、大きなホテルであればさておき、旧市街の小さなホテルにおいて、そんな早朝にタクシーを呼んでくれるかどうか、些か疑問の余地がありますし、4時頃に流しのタクシーがつかまるかもナゾ (4時半~5時ならOKだと思いますが)。そこで、必ずこの列車に乗ろうと思ったときの最も確実な選択肢は、イェンビェン以北の沿線に宿泊することになります。イェンビェン駅周辺には、予約サイトで確保可能な宿屋はないようですので (中国の旅社レベルに相当するニャーギという安宿 (事実上ラブホを兼ねております) は探せばあるかも知れませんが)、今回はイェンビェンの次、トゥーソン 辞山 駅近くのホテルを海外ホテル予約サイトで予約し、宿から15分ほど歩いて無事4時45分頃に駅に到着しました。何と、駅にはまだ電気が灯っておらず、私が着いた3分後くらいに、駅員の尾根遺産がバイクに乗って現れました (笑)。



 列車の到着は5時7分ということで、待つことしばし。夏至直前とはいえ、5時前はまだ緯度・経度の関係で暗かったものの、5時を過ぎると無事どんどん明るくなり、高感度側に振って何とか30分の1、f5.6程度の露出を確保出来るようになりまして、入線する列車をズーム流しで撮ることに決しました。そして……3分遅れでヘッドライトの灯りが迫り、予想通りに (=南寧発ザーラム行き国際列車の交換待ち) 待避線に入って来たハロン行き列車は……ぬうぉぉぉ~何じゃこりゃ!長げぇぇぇ~! これでは貨車ばっかりで、客車はケツの方に小さく見えるだけではありませんか! (笑)。この混合列車は途中ケップで折り返しの罐付け替えのため、そしてマオケ 毛渓 で貨物扱いのため長時間停車をすることになっていますが、「マオケまでこんなに沢山貨車を連れて行くのか……。前回乗ったとき、マオケからイェンビェンまでこんなに連結したっけ?」と驚くばかりです (もっとも、真相は別。また改めて……^^;)。
 ともあれ、南寧からの列車と交換したあとはすぐに発車すると思いましたので、まずは満鉄客車の行商客車C51003 (一般客車B41001は連結されず……-_-; なお、この場合、C51003は代用の一般客車に指定され、行商荷物の持ち込みは禁止) に乗り込み、車内から中国国鉄25系客車の通過をお見送り~。出来れば通過シーンを撮りたかったのですが、国際列車はかなり飛ばすため、ズーム流ししても多分失敗するものと諦めました (苦笑)。
 ところが、国際列車がザーラムへと去っても、こちらは何時まで経っても発車しない……。「これはおかしい」と思い、再びデッキに立ってみると、何と目の前を本日の罐・D14E 2013がやはりザーラム側へと去って行くではありませんか! そしてその先には、ポツンと留め置かれた2両の有蓋車……。要するに、ザーラム行の通過を待って、D14Eが一旦編成を置き去りにして本線に出て、再び戻って駅舎側の側線に入り、トゥーソンから発送される貨車を出迎えていたのでした。これこそがまさに、古き良き混合列車シーンというものなのですな……(*^^*)。しかも、そんな入換を、東風11形に似せた優等っぽいマスクのD14Eがやっているというのですから痛快です♪
 もっとも、この入換の結果、トゥーソンでは5分停車のはずが、結局10数分停車となってしまったのでした。まぁ、定刻ならケップで30分停車ですので、それを削れば定時を回復出来るのでしょう……(実際そうなりました)。というわけで汽笛一声、ギシギシと凄まじい音を出して満鉄客車が転がり始め、壮絶な酷暑の超鈍行旅が始まったのでした……。

ハノイ以北サウナ鉄 (1) 総論・満鉄客車思慕

2016-06-14 15:35:00 | ベトナムの鉄道


 戦後は既に70年以上。それとともに、日本が見果てぬ幻想の王道楽土に築いた大満鉄を支えた人々も世を去られました。また当然のことながら、満鉄の車両もごく一部が中国で現存するのみとなり、1990年前後まで中国国鉄の各地で満鉄客車や勝利・解放型SLが見られたのも昔話となりました。今や、中国で日々稼働する満鉄車両といえば、撫順等のELや歪頭山の客車のみとなり (鉄法の客車は単なる動態保存)、戦争に勝とうが負けようが鉄道車両と人事には諸行無常という言葉が必ず当てはまるようです。
 だからこそ、何故か酷寒の曠野から遠く離れた暑熱のベトナムにて、車齢80年前後 (あるいはそれ以上?) になる満鉄客車が毎日運転されているという事実は、ますます驚嘆に値するように思われます。その実情につきましては、私も既に2012年の3月に目睹するを得まして、時空を越えた偶然の積み重なりが生みだした奇想天外な浪漫に満ちた光景にただただ圧倒されるばかりでしたが、その後さらに緑皮を脱してトリコロールカラーのベトナム国鉄新塗装 (かつてベトナムを支配した植民地宗主国おフランスの色とは……) に衣替えしたというから驚きです……。とはいえ、何時まで走るか全く分からず、今すぐ消えても全くおかしくありません (実際今回は、かつて中国からプレゼントされた8両のうち2両が、廃車前提の放置状態となっているのを目撃しました)。



 というわけで、鶴丸航空のたまったマイレージを使わなければ失効分が発生するというタイミングで、ちょうどハノイまで往復可能なマイルが貯まっていたのを奇貨として、金曜夕方出発、月曜朝帰国、鉄活動時間2日という、超とんぼ帰りベトナム訪問をして参りました。

 もっとも、今回は同時に、世紀の珍車・ソウルメトロ使用急行も楽しむ腹づもりだったのですが、僅か20数日前の5月21日に実施されたダイヤ改正にて、メーターゲージ列車のハイフォン・クアンチエウ・ラオカイ行き各一本と共に廃止となってしまい、僅か約1年の露と消えたのでした……(T_T)。まぁ、これほど高速バスが発達しつつあるベトナムにおいて、ハノイ市中心部まで乗り入れできない近郊急行列車なんて絶対に流行らないよな……と。登場当初は物珍しさから多少は客が入ったものの、頻発するバスとの競争にあっさりと破れ、次第にジリ貧になっていったものと想像しています。まぁこの列車につきましては、もとよりソウルメトロ愛が炸裂した『西船junctionどっと混む』様にてお楽しみ頂きましょう……(私は所詮ウリナラへの愛が全然足りないので、こういう運命になったものと割り切ることにしました ^_^;)。

 それはさておき、肝心の満鉄客車によるイエンビエン~ハロン行商列車は、これまで通り毎日運転されています。しかし今回は、唯一の普通座席車であるB41001が運用を外れており (検査と思われます)、全車両が行商客車+荷物車……。居住性に難があり、メッチャ混んでいて疲れました……。とりわけ、人間の生存には厳しいと思えるほどの激烈な暑さと湿気……(@o@;;)。息をするのも苦しいサウナ状態での鉄活動でしたので、暑さよりも寒さの方が良い私はもうヘロヘロ……過去最酷の鉄活動でした……。それでも何とか乗って撮りまくりましたので、その模様を備忘録的にアップして参ります。まずは、今回の2枚の画像から、まさに息が詰まりそうなほどの想像を絶する蒸し暑い空気感を感じ取って頂ければと存じます……。

 また今回は前回訪問時と同様、ザーラム駅を出入りする、ハノイ以北のメーターゲージ列車も撮影したのですが、ソウルメトロが見果てぬ儚い露と消えたのもさることながら (車両そのものはザーラム工場の建物内にあるものと思われます)、むしろ一層驚いて腰を抜かしたのは、

  全 旅 客 列 車、チ ェ コ 罐 D 1 2 E に 統 一!

ということです。ということは、モスラ罐も、ソ連から来た超ミニ罐も、東方紅21も、オーストラリア出身の入換罐も、はたまたハイフォン急行の常連牽引機でもあったドイモイ型D19Eも……すべて来ません!! ボロい車両や少数派は引退し、D19Eはこのたびのダイヤ改正で優遇された統一鉄道の牽引用として転出していったものと思われます。
 いやはや本当に、アジアでの鉄活動は全て一期一会、いつ何がどうなるか、全く予想がつかず、思いがけない形で変化を見届けることになります……。というわけで、いろいろな罐を見たいという方は、イェンビェンを発着する貨物列車 (但しいつ走るか不明) もしくはザップバット貨物駅以南の統一鉄道を狙うのが良いかと存じます……。

第四ヤンゴン熱鉄記 (10) キハ58RBT5019

2016-06-13 00:00:00 | ミャンマーの鉄道


 ミャンマーのLRBE削減ショックが未だ癒えない今日この頃……と思ったらここに来て、リンク頂いております『RBE』様の最新情報によりますと、キハ38が2連×2でコンピュータ支線2運用専用となったり、ヤンゴン~バゴー間のボロボロ混合列車13Up・14Downが東海キハ40系列になったり……。もう怒濤の勢いで浦島太郎気分です。しかしだからこそ、今後ますます増える日本中古車とミャンマー国鉄オリジナル車両、そしてチャイ罐とのめくるめく交錯がどうなって行くのか目が離せません。
 というわけで個人的には、東方紅21と日本中古RBE改RBTのマニアックな編成に一層注目したいのですが、究極のところ、骨董品的な連結器ではなく日本風の自動連結器を装備している罐であれば、チャイ罐と同様にRBE改RBTを牽引できるわけで、これについても今後大いなる変化があり得なくもないでしょう。既に1970年代モノの東方紅21は、ミャンマー移籍組についても相当数離脱しつつありますし、一方急行客レを中心に日本風の自連を装備した車両が漸次増えているように見受けられますので (恐らく、スピードアップに伴う連結器のリニューアルも日緬鉄道協力の重要なメニューなのでしょう)、今後DF1200の自連装備車が増えれば、東方紅21に取って代わることになるでしょう。というわけで、日本の中古と中国の中古が手を取り合っているという、「中国夢」外交&尖閣問題以後の日中関係では最早絶対に有り得ねぇ~光景(まぁ、膨大な数の中国中車製車両の中に日本製部品が仕込まれていることには変わりないでしょうが)をご覧になりたい方は、今のうちかと存じます。



 そんなRBE改RBT、基本的に毎日6両がゴロゴロと牽引されているのですが、実際には予備車が少なくとも3両以上あり、去る3月の訪問時にはキハ52 (RBT5002・5007) とキハ58 (RBT5019) がヤンゴン客車区の片隅で惰眠を貪っていました……。そこで「うぬぬぬ……松浦を4両もつなげるのは実につまらん! (松浦ファンの方スミマセン ^^; ←長崎県未訪問 ^_^;;) 松浦を2両抜いて、その代わりにキハ52・58が各1両組み込まれていれば最高なのだが……」とブツクサ独り言を垂れていたのですが (キモッ!)、その後「茶」様のブログにて、4月中旬~下旬にはキハ52の2両が組み込まれ、その分松浦が弾かれ、ちほくCR-70が先頭に出ているシーンを拝見し、思わず目眩がしましたです……。「何でオレの時には来てくれないのぉぉぉ~?!」と……(滝汗)。
 とゆーか、そもそもの問題は、まだ他にもRBTとして再生可能な荒廃RBEの在庫がまだまだあるにもかかわらず、RBT改造車が突如ドバーッとミンゲ工場を出場したきり、しばらく増備車の音沙汰がない点にあるでしょう。あと5~6両増えてくれれば、6連×2+予備2両ということで、さほど不自由なく運用を回せると思いますし、そうなればキハ52・58のRBTも運用に入る確率が上がるはず……。
 というわけで、ヤンゴン駅の陸橋からよく見える位置に留置されていたRBT5019を激写し、2013年の初訪問時にはコンピュータ大学運用で青息吐息のボロボロ姿で走っていたRBE5019に乗ったことを思い出しながら、オハ41並みの超ロングシートに改装されたRBT5019にいずれ揺られてみたいものだ……と思ったのでした。

消えゆく箱根登山バス旧塗装

2016-06-11 00:00:00 | 濃いぃ路線バス&車両


 先日東海バスの公式HPを眺めた際、全線フリーきっぷの出現に驚喜したのもさることながら、沼津東海登山バスがつい最近「東海バスオレンジシャトル」に商号を変更したことには大いに腰を抜かしました……。そもそも箱根登山バスの三島・沼津地区の営業権を、同じ小田急グループの東海バスに譲渡した結果が、沼津東海登山バスの由来であるわけですが、これで社名から箱根登山の痕跡が消え、さらに今後はバスの新陳代謝により、登山旧塗装や「登山&東海ハーフ塗装」も消えて行くことになるでしょう……。



 そんな箱根登山バス旧塗装は、本家・箱根登山バスにおいても、朱色に近いオレンジ+クリームの新塗装、あるいは「ハートフルとざん」塗装によって次第に少数派へと追い詰められており、国道1号線の山登りバスにおいては明らかに旧塗装が少数派になったほか、関本=大雄山駅前を発着する中型車路線や湯河原地区においても、いつの間にか新塗装エルガミオが急増しています。個人的には、箱根登山バスの色はこちら旧塗装の方が断然お気に入りなのですが、塗り分けの面倒臭さや、箱根登山電車とイメージを合わせる必要から、新塗装へと移行するのは必然ということで、かな~り寂しいですね……。
 したがって、今や箱根登山バス旧塗装車を撮る機会に恵まれれば、それこそ祭り状態になってしまいます (笑)。1枚目は先日、関本で寝ているエアロミディを中心に撮影したものですが、この後乗った関本~地蔵堂線と関本~新松田線は、いずれも新塗装のエルガミオでした……(-_-;)。いっぽう2枚目は、今年1月に撮影した沼津東海登山の二段窓エアロミディ!! 伊豆の達磨山に登り、海沿いの集落・木負(きしょう)に下山したところ、沼津アルプスをバックに望む岸壁の折返場にこんな超大当たり車両が待っていたものですから、思わず疲れを忘れた鼻血ブー状態で激写しまくったのですが、冬の午後4時前ということで、やや影がかかってしまったことこそ悲しけれ……。
 というわけで、そのうち沼津、三島、熱海、湯河原、小田原……とまとめて巡り歩き、集中的に記録しなければ、と思います。