不思議な宝石に対する当時の人々の解釈も書かれている。
魏の臣下の高堂隆(こうどうりゅう)は石について「古代の王や聖帝も受けたことのない名誉で、我が国の幸運の印である。宮殿の東の壁に保存し代々受け継ぎましょう」と言った。
川から現れた図は帝王が受け取るというならわしが当時あった。
一方で高名な学者の張臶(ちょうせん)は内密の話としてこう言った。
「そもそも神の御業は未来を予告するもので、過去を暗示しない。瑞兆が現れ、その後に興廃が起こるのだ。既に漢は滅び、魏の時代になったのだから、この石は魏の誕生を祝うものではない。将来に起こることを暗示しているのだ」
まさしく石は魏の滅亡と晋の誕生を予告するものだった。
(ちくま版2巻365P)
魏の臣下の高堂隆(こうどうりゅう)は石について「古代の王や聖帝も受けたことのない名誉で、我が国の幸運の印である。宮殿の東の壁に保存し代々受け継ぎましょう」と言った。
川から現れた図は帝王が受け取るというならわしが当時あった。
一方で高名な学者の張臶(ちょうせん)は内密の話としてこう言った。
「そもそも神の御業は未来を予告するもので、過去を暗示しない。瑞兆が現れ、その後に興廃が起こるのだ。既に漢は滅び、魏の時代になったのだから、この石は魏の誕生を祝うものではない。将来に起こることを暗示しているのだ」
まさしく石は魏の滅亡と晋の誕生を予告するものだった。
(ちくま版2巻365P)