新潮文庫に収録された「阿片王」を途中まで読んでいるのだが、
思い出すね。戦前満州や大陸で謀略に携わってきた人たちの戦後を。
最近ではほとんどそういう人たちと遭遇することがなくなった。あれは昭和四十年代までだったかな。ロッキード事件(昭和56年)あたりまではチラホラいたようだが現在では見かけない。
戦争中に諜報、謀略関係でいっぱしの仕事をしていたとすると、若くても30代だろう。昭和50年というと60歳以上だ。見かけなくなるわけだ。
この本は戦争中の関東軍やそれに協力した民間の謀略活動を取材しているのだが、当然著者は生存している関係者や関係者の家族から話を聞いているわけだ。書いてあるところによると1990年代の終わりごろからインタビューを始めたらしい。
しかし、なかなかよくそういう人物たちの戦後を活写している。読んでいて昔偶然そういう連中に遭遇したときの異様な印象を生々しく思い出した。
上司に言いつかって銀座のアパートに小包を届けた新入社員がいたと思いたまえ。れっきとした財閥系の大企業である。中身はわからない。郵便では書留でもまずいものなのだろう。あるいは時間が間に合わないのかもしれない。
中身は教えられなかった。書類のようでもある。ひょっとしたら札束かもしれない。
銀座のソシアル・ビル(というのかな、バーなんかが入っている雑居ビル)のあいだに挟まった古ぼけた4,5階建のアパートの一室を訪ねた時だ。その男から受ける圧迫感には本能的な恐怖感と抑えきれない嫌悪感を覚えた。慇懃な物腰で若造にも丁寧に応対するが、体から発する殺気のようなものは異様だ。
女性がいた。一目で相当教養のある、昔風にいえば高等女学校出とわかる上品な婦人なのだが、なにかくすんだような印象がぬぐえない。水商売のにおいもする。奥さんではないようだ。
コーヒーを淹れてくれたのだが、とても喉に入らない。一刻も早く部屋を出たかったのを覚えている。こういう雰囲気の人たちが戦後しばらくはいたものだ。
おそらくは上海にいたのか。ハルピンにいたのか。ハイカラな垢ぬけた雰囲気はそこから来たものだろう。異様な圧迫感はどこからきたものか。
+ マヌエラを探して
NHKの前をとおると時々あのナイトクラブはどこへ行ったんだろう、なんて考えが浮かぶ。NHKといっても渋谷に移るまえだ。日比谷公会堂の近く、帝国ホテルの手前だ。
さて、この本を読んでいたらやはりNHKの前にあったんだね(530ページ)。
学生時代に行ったことがある。なぜ覚えているかというとその場の状況だね。兄貴の友人が学生の私を連れていったのだ。なぜそんなことをしたのかも不思議に思ったものだ。
その友人というのがバリバリの左翼で、世の中も落ち着いていなくて、明日にでも革命政府ができるなんて幻想を抱いていた若者も多かった。彼もその一人でゼネストを熱心に指導していたような人物だったから、どうして日比谷のナイトクラブで遊ぶのかと不思議に思った。しかも学生の自分をつれて。
今でいえば六本木のクラブみたいに外国人も出入りする場所だ。すぐ近くにGHQもあったしね。しかもいわくつきのスポットなんだね。上海の租界に戦前ブルー・バードというダンスホールがあったそうだ。軍関係者や諜報関係者がたむろしていた場所だ。そこの踊り子が戦後日本に引き揚げてきて開いたナイトクラブだというのだね。
今にして思えば思い当たることが多いのだ。
以下次号