東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

相撲協会改造案第二次

2008-09-30 17:52:42 | インポート

1019号==>夕方のニュースによると外部理事二人と外部監事一人がきまったそうだ。70歳代のロートルだがちょいとトロイ感じだ。

そこでオイラの案:

理事の枠が仮に15人とすると

* もし、財団法人格を続けるなら役人からの天下りあるいは政治家から五人は入る必要がある。かって、陸軍主計中将が相撲協会の理事長であったことにかんがみて下拙は守屋もと防衛事務次官を推挙したのであるが、残念ながら彼は小菅の住人となってしまった。小池百合子君なんてのはどうかな。

ただし、相撲協会が民間団体になるなら天下りを受け入れる必要はない。

** プロスポーツで八百長を根絶することは現実的ではない。しかし、すくなくすることはできる。平たくいえば閉鎖的な、排他的な運営をすれば八百長が蔓延する。野球でもボクシングでも八百長を減らすために必死の努力をしている。

そういう観点からすれば、相撲協会は「八百長いらっしゃい集団」である。社会学的にいえば。

そこで外部理事の五人は八百長廃絶努力に実績のあるスポーツ界から入れる。すなわちプロ野球、Jリーグ、日本ボクシング連盟などから五人を入れるのだ。

ただし、これも相撲協会が今の閉鎖的な組織をかえず、財団法人を返上するなら他のプロスポーツから理事を入れる必要はない。そのかわり「八百長をしてなにがわるい」とぶちかます必要がある。

だいたい、興行すなわち商業的行為で客寄せのため、面白くするために八百長をしないでできると思うほうがおめでたい。力士同士で殺し合いをするというなら話は別だ。身障者続出するぜ。真面目にやれば。

巡業での申し合わせ、っていうのかな、は全部八百長だろうが。それで面白くなり客が入る。

八百長をして何が悪い、と尻をまくれる江戸っ子は力士にはいないのか。


「大相撲」は国技ではない

2008-09-30 09:23:59 | インポート

1017号==>若の鵬が週刊現代の証人で八百長裁判に出るという。

ワイドショーで推理小説ゴッコをしているが、

二十歳の若者は自分が大相撲に戻るのに有利と「勘違い」してこの行動に出た >> そうだろう、そうだろう

周りの悪い大人にそそのかされた(週刊現代もはいるらしい) >> そうだろう、そういう見方もあるだろう

日本の滞在期限を延ばせる >> そうだろう、そうだろう

和解、示談金を(たとえば退職金)を引き出すもくろみで >>そうだろう、そうだろう

タイトルのカッコについて >> 英語のTheにあたる。

さて八百長である。まえから再三書いたように八百長がなくて相撲興行が存続できるなどと考えるのは世間知がなさすぎる。

八百長という言葉が相撲協会は嫌いらしい。響きのいい伝統的な日本語なのにね。案外小心だ。「無気力相撲」なんてこなれない日本語をぶつけてきた。笑止千万だ。

さて、相撲の伝統という。その場合、ほとんどのことは江戸時代末期に興行として確立したシステムのことを言う。どんなに逆立ちしても江戸末期よりさかのぼれない。つまり商業、金儲けとして確立したシステムである。もともと、公的な性格になじまない。財団法人なんて与えちゃいかん。

もっとも、江戸時代の力士のスポンサーは大名だ。大名のお抱えだったわけ。公的と言えんこともなないかな、一本取られたかな。と負けたふりをしてみる。ただし、その場合の「お抱え」の意味は芸者を囲う意味とかわらない。

明治以降は東京と大阪にわかれて純商業的になったはずだ。それもようやく大正時代になってからだろう。

昭和天皇は相撲がお好きで、ためしに東西相撲協会合同で興行したらどうじゃい、とおおせられた。皇太子時代の大正の御世である。

それで優勝者には皇太子の内ド金(皇太子につけられた国家予算)から優勝カップを出そうということになった。

そしたら頭の固い役人が純然たる商業団体に内ド金を出しちゃいかんと反対した。そいじゃ、財団法人にすべえ、と抜け道を考えた。それで財団法人になったのだ。いつまでも財団法人格を与える理由はない。今の相撲協会はべらぼうな隠し財産をもっている。優勝カップなど自分でつくれ。

伝統というときに相撲は神事でもあり、純然たるスポーツではないと、いう。特に耳障りなのはかって相撲協会付属、NHK付属だったかな、(いずれにしても同じことだ)ちょうちん持ち中継アナウンサーであった杉山なにがしである。やめてくれよ。そんなつまらんことで声をはりあげるな。

勝ち負けを争うスポーツマンが賭博師と同様に迷信深いのは洋の東西を問わない。昔も今もかわらない。ゲンを担ぐなんて世界中のスポーツマンの特徴だ。また、負けすなわちけがれという心理も世界共通である。とくに金銭がからみ、それで飯を食っているプロには非常に強い。

相撲にいろいろな神事的な行事があり、奉納相撲が行われるのはそのためである。靖国神社の機能とは違う。間違えるな。