昨日の国会でなにやらいう法律に渡辺美智雄だっけ、その息子だったかが造反した。今朝のテレビではもてもてだ。彼には行革担当大臣時代の官僚や官僚の利便代表者である自民党議員に対する怨念があるようだ。
さて、昨日のTBSで太平洋戦争開戦のころの話をやっていた。ビートたけしが東条首相役だった。ま、どこまで本当か分からんが、当時の主演級人物のリキャップにはなった。むりやりこじつけた結末のコメントはさすがにTBSだけあって、まったく 噴飯ものではあったが。
前にも書いたが大正末年、昭和初期に職業軍人は軍服を着て街を歩けなかった。「税金泥棒」とののしられたからである。街に遊びに出るときには背広に着替えていたわけだ。
第一次世界大戦後の好景気も終わり恐慌の真っ最中。今の日本のような状態だ。陸軍、海軍の軍縮が政治の大きな課題だった。それに恐慌をきたした職業軍人が巻き返しをはかったのが満州事変だ。
成功してみると国民は拍手喝采、軍隊の行革などどこかへ行ってしまった。国民に見世物と飯を与えたわけだ。ローマ流にいえば、統治のコツは「パンとサーカス」である。
国民は戦勝のニュースにわき、景気もよくなった。いうことはねえ、とね。
行革へ逆戻りの恐怖は軍人には根強い。今の官僚とまったく同じである。そして心地よい国民の喝采を受け続けるには絶えず新しい戦争を仕掛けなければならない。これはもはや、職業軍人(適切正確に表現すれば軍事官僚)の強迫観念となった。いろいろと表向きの理屈はあるがね。
それで図に乗りすぎて、欧米なかんずくアメリカへの目配りがおろそかになった。ヤクザだってシマを拡張するときには頭を冷やして状況を分析するだろうが、これがお粗末だったのだ。
アメリカも日本と同じことを考えていたのだが、日本が図に乗ったのでいい口実ができた。日本と戦争しても世界の世論に迎合できると踏んだのだ。このときには踏む、はふむとよむ。麻生首相は正しいのだ(広辞苑14)。14番目の意味ということはむしろ難しい読み方だね。麻生さんは学があるね。
あとはアメリカのほうが役者が一枚上だ。アメリカの西部劇。酒場で無頼漢上がりの保安官がさんざん相手を口で罵って、相手に先に拳銃を抜かせる。そして保安官の早打ちの拳銃が相手をぶっ殺す。最初からぶっ殺すつもりなんだ。百万回も繰り返された手だが、何度見てもいいねえ。殺されるのが自分でなければね。
ビギナーズラック==
ということがある。近代日本は大正と昭和の交わりで二分すべきことは再三言ってきた。前期では台湾出兵もあったが、最初の本格的戦争は日清戦争だ。あれもビギナーズラック的なところがあったが、シナも日本もほぼ同じころに近代化をはじめたからやはり実力で勝ったというべきだろう。シナは清王朝のままで近代化をはじめ、日本は明治維新で体制を一新してとりくんだ。この辺の差もあろう。
日露戦争は多分にビギナーズラック的なところがあった。その余徳は第一次世界大戦でもなんとか続いていた。
さて、大正末期になると維新の元老たちがすべて退場して、明治初期に開始した軍事官僚制度が成熟して、生み出された官僚たちによる政治の壟断がはじまった。
満州事変はやってみたら大成功、しかし戦術的には、だ。現地の独断で中央を無視した弊害は大きかった。それに日露戦争で見せた周到な外交的配慮が全くない。現地の軍人が独断でやったのだから当然である。今回はビギナーズラックは一回だけだった。
競馬でもそうだが、ビギナーズラックというものはあるものだ。神風でも 天佑でもなんでもない。ただ、国際政治での戦略的配慮がないから、成功と同じあるいはそれ以上の逆効果があった。
競馬でも大穴を当てたあとは後ろを気にしながらタクシーで早々と競馬場を離脱するものだ。どこで、大穴配当の払い戻しを見ているやつがいるかしれたものではない。そういう注意を全然しないからアメリカという配当金強盗にまんまとやられたのだ。
身ぐるみはがれてスッテンテン ===
あの日露戦争でも講和条約で正当に分捕った戦利品に三国同盟からイチャモンをつけられている。第一次世界大戦後の軍人専横の戦争の戦利品などすべて取り上げられた。それどころではない、明治維新後60年の大業の成果もすべて奪われた。
この一条をもってしても、東条などは腐屍にのこぎり挽きの追刑を課されてもしょうがない。
ここで都都逸(川柳かな)を一句
大ばくち、身ぐるみ剥がれて、スッテンテン
さて、読み人をあててごらんなさい。