とある秋晴れの午後、多磨墓地で二人の外人青年に道を聞かれたことがある。
二人とも金髪の白人でひょろひょろと背が高く、スラブ系のように見えた。一人はタタールの血が混じっているのか頬骨が張り出していた。
私は久しぶりに東京に帰ってきて病死した昔の恋人の墓参りをしようと思い立ったのである。
二人は日本語で話しかけてきた。「おざきほつみの墓はどこですか」。言われて戸惑ったがかすかにゾルゲ事件の関係者かしらとあやふやな記憶が浮かんできた。わたしが「ああ、ゾルゲ事件で死刑になったスパイの?」とつぶやくと二人は侮辱されたようでなにやら言おうとしたが、もともとこちらも墓がどこにあるのか知らないらしいと思ったのか私から離れていった。
彼らは手にメモだか地図のようなものを持っていた。どうも近くに尾崎秀実の墓があったらしい。いまでもロシアではゾルゲや尾崎は救国の殉教者として大きな尊敬を集めているらしいことが彼らの反応でわかった。
いつのことだったか、もうソ連邦は崩壊していたような気がするが、大分昔のことだ。