東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

朝鮮に徴兵制なし

2013-10-22 09:11:24 | 国際・政治

このブログ、このカテゴリーでは他人のアップに言及することはあまりないようだ。不文律なのかもしれない。紳士的な雰囲気でよいと思う。

事実関係なので、お許しを得て、確認の意味で、蒙を啓いていただく意味でアップします。

日本統治時代、朝鮮人(当時の言葉で)に対して同じ日本人とはいえ徴兵制をしいていなかったと聞いていますが?(これは差別の一種かもしれませんね)

太平洋戦争末期に兵員の消耗が著しいので補充の意味で朝鮮人から志願兵を募ったとは聞いています。しかし、その大部分は最前線に送られることなく、捕虜収容所勤務などについたといわれます。

終戦後、多数の朝鮮人兵士が捕虜虐待の罪で連合国軍からBC級戦犯として訴追され処刑されたといいます。

さて、志願兵を募ると大変な倍率の応募があったという。これで内地人とおなじステータスが得られるということで応募が殺到した。日本人名への改名(創氏改名)とおなじ動機です。改名は認可(許可)制で原則として日本名への改名は許されていなかった(要確認)。もっとも満州などでは現地の人たちとの関係を有利にするために勝手に日本人名に改名したという。つまり、許可性でもあまり強い制約を持っていなかったということでしょう。

これは徴兵制の話です。将校などの職業軍人には日本人と同一の機会が最初から与えられていた。陸軍士官学校への入学試験に合格すれば職業軍人としてのキャリア昇進が認められている。朝鮮人で少将以上になった人は沢山いる。今のパククネ大統領の父親は日本の陸軍士官学校卒業で終戦時には日本軍の大尉か中尉ではなかったか。

それからシナの若者にも日本の陸軍士官学校は開かれていた。中華民国主席(大統領かも、呼称確認必要)の蒋介石も日本の陸軍士官学校の出身です。

補足; その後wikipediaで確認したので一部修正しておきます。大勢においては趣旨を変更する必要はないようです。

志願制は日中戦争勃発後始まったらしい。一例として1942年には4077名を募集したが、応募者は62倍強の25万4千2百73人であったという。

また、法改正により1944年9月から徴兵制が始まったが入営は1945年1月から7月の間に限られたため訓練期間中に終戦を迎え、実戦には投入されなかった。

また、パクチョンヒ元大統領は満州国士官学校に入学でした。終戦時の階級は中尉。理由は書いていないが、彼は入学不適格者とされたが、三度血書を提出して入学したという。よほど入りたかったのであろう。