東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

日本のゲリラ鎮圧に百万人の米兵が必要

2013-10-09 20:36:56 | 国際・政治

10月6に始めたこのシリーズで政治文書(歴史文書)に出てくる数字はよほど注意しなければいけないと述べた。

アメリカ人は百万という数字が好きだ。自分の幸福をミリオネアという言葉でしか表現できない野蛮人である。

トルーマンが原爆を投下しないと日本を降伏させるまでに更に百万人の米兵の犠牲が必要だとほらを吹いたはなしがこのシリーズの発端であった。

マッカーサーがこんなことを言った(といわれる)。ころごろはオイラも用心してこういう。

天皇を戦争裁判にかけたら、日本人全体がゲリラ化して内戦がおこり、アメリカは長期間日本に百万人の米兵を半永久的に駐留させなければならなくなる、とね。吹きも吹いたりだ。

余談だが、天皇が本土決戦を絶対に不可としたのは、必然的にゲリラ戦を国民全員に強いることになるからだ。兵士として戦うのとゲリラとして戦うのでは悲惨さが全く違う。ゲリラには国際条約の保護は全くない。平服を来た戦闘員(スパイとゲリラ)には人道的な扱いをする必要がないというのが国際常識であったし、いまでもそうである。

アメリカのイラクやアフガニスタンでの現在の行為をみればわかる。テロリスト(ゲリラの一種)とみなすから容赦なく残酷な作戦を行うのである。天皇は国民にこのような帰結をもたらすような、アメリカに口実を与えることになるような軍部の本土決戦策を排除したのである。

ちなみに社会党(いまはないが)の残党諸政党がいう、憲法改正反対(第九条)、自衛隊反対などの思想は、外国から攻撃を受けた場合に、1:なにも抵抗しないで隷属しろ、あるいは2:ゲリラ戦で抵抗しろという二つの帰結しかもたらさない。これは野坂昭如が朝までテレビで放言した。かれはいざとなれば国民はゲリラとして自然発生的に戦うから自衛隊もいらないし、第九条も変える必要がないというのだ。あきれてものもいえない。

国民に時間的余裕がある間に国防策をたてず、いざとなれば地獄のゲリラ戦で抵抗しろというのか。そんなことで政治家といえるのかな。