そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

そりゃ、養殖だろ

2006-08-11 | ゲノム編集

”はまち”を会食した京都の友人が、それを食べなかった。その理由を”養殖”とした。はて、養殖とは何でPhoto_11 あろう。広辞苑によると「魚介類・海藻などを(中略)人工的に飼養そて繁殖させること」とある。つまり、養殖とは海産物に限るらしい。しかしながら、巨大な工場のような閉塞されたところで、只玉子だけを産み続けるだけのニワトリは、魚のように動けるところもないほどであり、これこそ養殖でないか。玉子は、ニワトリの養殖であるといった方がわかり易い。友人は、玉子は食べているということである。結局そんなことを食べ物がなくなるというような結論になった。

北海道の乳牛は、どこでも放牧されて青草を自由に食べて、牛乳を出しているとも思っている。現実には、夏でも閉塞された空間で、たっぷりと輸入穀物を与えられた、体力、生理の限界の中で泌乳している。生理にあった、草などの粗飼料は本の少し与えられているだけです。それでも北海道などはまだましな方である。自家産の粗飼料があるだけましである。府県の酪農家は、草さえも輸入しているような状況である。酪農は、北海道の東に本来の飼養管理スタイルが僅かに残る程度である。日本の酪農は、養殖状態であるといえる。養豚も肉牛も基本的には変わるものではない。

アメリカの穀物輸入業者たちの「技術」指導で、大規模化、高生産を強いられるニワトリや豚や牛などの家畜は、感受性のある生命体としては扱われることなく、非常な扱いの元やっと生きている。日本の畜産は養殖と呼ぶべきではないだろうか。

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