日本人の「熱しやすく覚めやすい」性質は今更論議にもならないが、環境ホルモンはどこにいたのでしょうかねぇ。それとダイオキシンがまったく騒がれなくなった。環境ホルモンについて言えば、かなり疑わしい事実はあるとは言うものの、実証されない現実にある。獣医師としてかなり興味のあることではあったが、科学的な実証のなさとデーターの不統一などから、反対論者に活気を与えた現実がある。例えば、男性の精子の減少は事実として存在するかに見えはするが、古い資料の根拠が今のデーターの採りかたと異なることや、その原因を単一のものに置き換えるには無理があること。非常に疑わしい物質が貝の性成熟を阻害しノンセックスの個体が増えてはいるが、実証されたわけではなく同じく反論に抗することができない状況にある。
似たような状況にあるのが、ダイオキシンである。一口にダイオキシンといっても、200種類ほどあり、有害とされたのは80種ほどであったが、その制定そのものが拙速の感があり、一部の学者の主張に依拠していたようである。ダイオキシンは、極端なことを言えば食塩を燃やしても発生すると言われている。ヴェトナムで枯葉作戦に使われ、その後の奇形児の発生が余りのも強く、日本ではごみ焼却に関する行政の対応が象徴的である。一部の極めて危険なダイオキシンが全体の印象を決定してしまったのである。
BSEが、環境ホルモンとダイオキシンの辿ろうとする道に差し掛かってきている感がある。BSEは、今後発生や検査陽性も極端に少なくなってくることであろう。変異型のCJVの発生も少なくなれば、日本人は忘れてしまうことになるであろう。安全よりも飛行機の事故程度の確率を重視して、安価な牛肉を買うことになるのでないか。現在のアメリカと同じ状況になるであろう。牛の飼養管理や発病の機序などはいつしか忘れ去られるのでないか。
環境ホルモンもダイオキシンもBSEも依然としてその危険性や、抱える問題がなくなったわけではない。しかしながら、BSE発生のの基本的な問題も、環境ホルモンもダイオキシンも問題を解決することなく、有耶無耶のまま忘れ去られ経済発展に勤しむことを最も懸念している。