昨年5月に、京都舞鶴市で女子高校生が殺害されて一年近く経った。今月始めに容疑者が逮捕された。36年前に内縁の妻とその兄を殺害して、無期懲役判決を12年で出所してきた男である。近所でも評判は最悪である。
この男、婦女暴行や下着や賽銭など窃盗を繰り返している。仕事もなく生活保護を受けて生活している。更には、2001年にもそう遠くないところで、女子高校生が殺害されて、未解決のままの事件もある。要するに相当怪しげな男なのである。
この男の逮捕について、京都府警は記者会見をやっている。重要なことは全てノーコメントで答えた。物証らしいものが何一つとしてない。状況証拠だけのようである。この辺りは、私自身が住んでいたこともあって詳しいが、保守的で情報は周辺の人たちは意外と筒抜けなのである。府警は多分そうした事情をとらえているのではないと思われる。
警察が睨んでいるもう一つのことがある。裁判員制度である。5月21日以降に起訴された事件 から適応されることになる。時間的にも、今月中に逮捕しなければならなかったとのことのようである。
つまり、この事件を素人が集まった「裁判員」に裁かれると、無罪にされかねないからである。あるいは逆に極刑判断をするかもしれないからである。要するに、裁判員制度の導入には、欠点があることを検事・警察側が認めたことになる。
裁判は極めて特殊な知識と経験が要求される制度である。そのため、司法を隅から隅まで勉強して、資格を取った人たちが行う作業なのである。素人がこれに関わると、心情や思い込みに流されるから、専門知識を幅広く持った人たちが多くの判例を踏まえて判断するのである。
司法に対する知識が薄く、状況証拠と周辺の事情だけで判断されると困る、この事件は典型な事例なのである。裁判員制度そのものを、検察は信用していないことを、いみじくも自ら語ったのである。
誰が何の目的で決めたか知らないが、裁判員制度は裁判官の専門性を否定するものである。有名俳優を沢山使った、最高裁判所のDVDを見たが感情に流されることを彼らも認めている。こんな制度に何の意味があるのか未だに理解できない。