日本の農業には”農業災害保障法”という制度がある。不安定な農業収入を補完する、国が行う共済制度・保険である。国が掛け金の5割から1割程度まで、作物によって差があるが負担してくれている。WTOでも、農業保護制度から外されている。農業共済制度として、多くの作物の農家が加入している。
家畜もある。乳牛の場合は、国が半分掛け金を負担してくれている。家畜が死んだり使えなくなった場合と、病気になった場合の保障がある。生命保険と健康保険が一緒になったような制度 である。農家は、治療代も見てくれるし、再起不能になった場合にはお金(保険金)がもらえる有り難い制度である。
昨年、共済の獣医さんと折り合いが悪くなって、辞めた農家がいるこんな面倒見の良い制度を辞めること無いと諭したが、結局辞めてしまった。牛の治療は私が看ている。本人が直接負担することになるし、牛がだめになった場合も一銭も金が下りることがない。
さぞかし、昨年は経営が大変だったことだろうと思って、話をすると全く逆である。それまでは、牛が調子悪くなると、獣医の責任にしていた。診療が下手くそだとか、もっと自分の言うようにやれとか、共済組合とそれでうまくいかなくなったのである。
辞めたからには、大変である。全てが自己責任となる。牛の看病から、観察、飼養管理に至まで、今までに倍した働きをやらなくてはならない。牛の管理についても、熱心で私の指示をちゃんと守ってくれる。共済の獣医さん事前に聞いた話と、全く逆である。
結局、牛の事故は立派な制度に守られていた時に比べ、半分以下になった。乳量も多くなり受胎率も良く、販売できる妊娠した若牛ができた。かつてないことである。販売の仕方を知らなかったから、本物である。毎年償還していた負債も、昨年は2年分を返却できた。
要するに、人の助けが無くなると懸命に働くのである。保護だけが、農業を守るのではないことを、この酪農家を見て感じた。難しい問題であるし、個人によって内容が異なるであろうが、農業に保護は必要であろうが、自己責任も当然あってしかるべきである。
重力のない宇宙では、骨が硬くならないそうである。常時負担をかけることが、骨を丈夫にするのである。人の社会生活も同様ではないだろうか。常時負担になる部分がある方が、元気になる農家もいる。