そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

政治が考えること

2009-06-30 | 国際・政治

政治は水ものではない。その時々で、適当に大衆受けすることにばかりを争点にする。その結果、大所高所からの論点が失せてしまうのである。その典型が、4年前の郵政民営化だけを争点にしたことである。

今回政治と金や地方分権がマスコミ主導で浮上してきたが、今中期的には格差問題やワーキングプアーァーの問題、さらには雇用などが争点になるべきであった。それが、政権交代一色の民主党にも、生活が第一と言っていた時があった。得票につながらないことは、置き去りにされるのが常である。

もう少し長期的には、環境問題、食糧問題が論点になるべきである。自民党の減反政策見直しをぶち上げた農林大臣は、結局は自民党農林族にに潰されてしまった。論争があったことはNet評価できるが、食料問題が相変わらず農家の問題に限定され、価格を巡る話に封じ込まれている。食料問題を、経済問題にしなければ政治では扱うこと出来ないのだろうか。

環境問題も同じである。エコポイントも何度も指摘するように、買い替えるよりも使い続ける方がよほどエコであるし、安価な物の方がよほど地球にやさしいはずであるが、ポイントは金額に比例する。環境対策のように見えても、経済振興対策であり経済問題に封じ込めてしまっている。

温暖化対策も類似する。CO2の排出量取引などはその典型である。政治が考えるとこんな形になるのかと呆れてしまう。日本はエネルギー効率がよく十分省エネ国家であることは踏まえた上で、なおかつ要求される発展途上国の言い分には理由がる。何度も化石賞をもらいながら、不満を漏らすのは政治が経済を優先させているからである。

結局政治とは、目先のことになり経済的視点ばかりが先行することになるのである。いつまで経ってもワイドショウ的、面白おかしくなければならななければ目を引くことがなく、得票につながらない。基本的な部分で食料問題や環境問題を取り組む政治が醸成される基盤が、日本にはないのかもしれない。

フォトアルバムに<消えゆく湿原>と<お馬の親子>アップしました。

コメント (1)
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