先々週の日曜日10時から、NHK教育テレビで『日米安保とその時代』という番組が、4回シリーズで始まった。もう少し多くの人が見ることができる時間帯にできなかったのかと思われる。当時の係わった人たちのインタビューと東西の専門家に発言させて、広範囲におよび客観性を持たせている。
日米安保条約から50年経過した。正確には59年であるが、60年安保条約から遡ること9年前に日本の進路が決定されたと言って構わないだろう。1951年の講和条約と同じ日に、日米安保条約は締結された。
日本の戦後進路大きく決めた日米安保条約は、当初マッカーサーの、中立国として国連に委ねる構想は崩れた。中華民国の建国とソビエトの台頭、それに朝鮮戦争で、アメリカは日本を反共の防波堤にしたのである。そのため、アメリカは日本全土をアメリカ基地化できるという一方的な条約内容であった。700を超えるアメリカ軍基地が日本設けられた。極めて不平等な条約であった。
日本各地で反基地闘争が行われた。岸内閣はこの不平等性をなくすとする名目で、60年に安保条約を改定した。これははっきりと日本が西側に着くことを意味していた。中国で大々的なデモが行われたことは、今回初めて知った。更にソビエトが、領土問題をこの時に棚上げしたのである。
アメリカは、日本国内の多くの基地を引き揚げたが、支配下にあった沖縄にこれを持ってきた。この時から、沖縄基地は3倍に膨れ上がったのである。基地は返還後も、密約という非公式の確約の下に変わることなく存続している。
この様に日米安保条約は、60年当時にはっきりと反共の位置づけで締結された。ベルリンの壁の崩壊に始まるソビエトなど東欧諸国の崩壊が進み、冷戦は終わった。ところが冷戦を背景に結ばれた日米安保条約は、その後一言一句も変わっていない。
アメリカ基地は、冷戦後世界各国で引き上げられているか規模縮小をしている。条約同様何一つ変わっていないのが日本である。政権交代は、これを見直す良い機会と思われたが、民主党は大きく掲げた対等な関係を空文化し、自民党政権と何ら変わることなく、基地を存続させた。
日米安保と冷戦は一体のものである。冷戦が崩壊して20年が経過した今、これは不要のものである。現状維持を望んでいるのは、安価で安全な基地を持ちたいアメリカと、アメリカの従属国家を望む右寄りの人たちである。