ヨーロッパが苦悩している。ギリシャもフランスも、緊縮政策は嫌だと国民が結論を出した。厭なことでもやらなければならないとは、多分感じているであろうが、それでも厭なものは嫌なのである。
先進国にはこうした、民意の意思を問うシステムがあり、国家体制はこれに制約を受ける。これを民主主義と呼ぶのかもしれない。
これに対して、資本主義として台頭していた旧社会主義体制のロシアや中国(中国は自ら社会主義国家とうそぶいている)は、多くのシステムを国家が所有している。
資源やエネルギーそれにメディアさらには金融まで、国家が所有するか大きな権限で支配している。こうしたシステムは、金融危機によって、明確で大きな利点を国民に見せつけることになった。
このような資本主義体制は、「国家資本主義」と呼ばれている。
何よりも、国家の意思決定が速い。しかも強大な権力で障害らしきものがない。例えば、道路を作る場合でも、国民の所有権や居住権など無きに等しく、決定内容があるだけとなる。
国家の戦略的な位置づけが明快であり、しかも資金は膨大である。強権そのものである。
こうした中国やロシアの、国家資本主義体制は、決定が遅いばかりか何も決められなくなるような”民意”が足枷となっている、欧米の経済人たちにとって羨望の的になっている。
このような体制は、権力の集中や独善性が強く、汚職の蔓延の基盤となる。検証するシステムがない。
国民の自由意志や言論の自由まで奪われているのであるが、社会主義体制に慣れていた国民には、そうした意思は弱く支配される便利さに慣れているのである。
ロシアと中国のこうした体制は、いずれ行きつく経済停滞によって崩壊することになるが、当分はこのままであることをも意味している。