そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

沖縄を差別し続けた日本

2012-05-15 | 政治と金

今日は沖縄が本土復帰して40年になる。記念式典が行われている。ところで、沖縄とはいったい日本にとってどのような存在だったのか?

沖縄を知るには、近代史を紐解かなければならない。沖縄すなわち、琉球王国は1872年(明治5年)までは、独立した国家であった。国歌という概念、あるいは政治体制が構築されるPhoto以前の状況なので、国家と言えるか疑問な点もなくはない。しかし、現在も言葉や顔つきなどは明らかに、本土の人とは異なる。
琉球民族にとって屈辱的な大きな出来事が二つある。一つは1879年(明治12年)の明治政府による”琉球処分”である。日本と中国(清)と、等距離外交を保ってきた軍事力を持たない、琉球王国は簡単に、処分(併合)させられた。

もう一つは、太平洋戦争で防塁とされ、日本帝国によって見捨てられ、地上戦によって焦土と化したことである。そしてそれに続くアメリカの占領である。

「本土並み」と虚言に乗せられたことを、初代知事の屋良朝苗は復帰の式典を前に悔んでいた。

本土復帰ではなく、27年のアメリカの占領から逃れたことの意味はある。しかし、沖縄を日本が150年にわたり、連綿と差別してきた事実は、膨大な基地の存在が証明している。

基地があるから生活できるというのは、本末転倒である。沖縄の不満を、振興策という札束で収めてきた現実がある。そしてそれは、地域の持つ特性を生かした工夫や産業の振興を抑えることにもなっているのである。

このことは土木振興によって、地域が一時的に潤う姿に重ねることができる。さらには、原発も同じである。健全な再生可能な発電を、原発マネーは抑えてきたのである。

40年経っても沖縄は変わっていないのは、日本の統治機構が同じ思想で支配しているからである。沖縄が変わっていないのではなく日本が、漫然と官僚機構による統治が続いていいるだけのことである。

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