2011年にチュニジアから始まった、『アラブの春』と呼ばれる民主化の嵐は、北アフリカと中東のイスラム諸国を駆け抜けた。終点でないかと思われるシリアで、政府と反政府がしのぎ合い、現在膠着状態にある。
最も早く政変が起きたチュニジアでは、初の選挙が行われたが、今月2日に野党党首が暗殺された。与党となったのは、イスラム穏健派と言われるナハダ党であるが、首相が組閣もできない状態になり、辞任した。政治的な混乱状況にある。
チュニジアでは、アラブの春以降に、宗教が自由化されてイスラム学校が乱立する状態になった。政変後国内で数百のイスラム学校が出来たとのことである。
アラブの春を起こしたのは、主として非イスラム勢力である。政変後はタガを外されたイスラム勢力が、政権を獲得している。これはエジプトでも同じである。市民にはやりきれない不満が残っている。
ソーシアルネットで活躍した若者たちや市民は、盗まれた革命と呼んでいる。エジプトもチュニジアもリビアも、急速にイスラム化が進んでいる。
結局は経済的には、政変後はむしろ後退して国民の不満は民主化されても、好転するわけではない。むしろ、エジプトなどでは主要産業の観光が落ち込み、悪化の一途をたどっているのが現状である。チュニジアでは、失業率が17%にもなっている。
日本人が10人殺害されたアルジェリアの人質事件の、実行犯の32名中11名がチュニジア人であった。アラブの春が駆け抜けた国々では、急速なイスラム化が進んでいる。
シリアのアサドが根拠にしているののも、各国の政変後の混乱する状況を見てのことである。
アメリカなどかここで手を出すのではなく、自らの力で選択した社会体制である。彼らをテロリストなどと呼び、新たな武力制圧の口実になる可能性すらある。