そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

柄谷公人の「憲法九条の無意識」という底流について

2016-07-03 | 平和憲法
哲学者の柄谷公人の、日本の憲法に対する認識が面白い。雑誌”世界”に社会学者の大澤真幸との対談を通じて、柄谷が述べている。憲法の無意識には二本の柱がある。一つが心理学者フロイドの述べる無意識に依るというのです。
憲法九条が外部の力、占領軍によって生まれたにもかかわらず、日本人の無意識に深く定着したというのある。意識的な反省があって憲法が内に向けられた欲動の存在として、憲法九条は日本人が守ってきたのではなく、日本人が守られてきたのだというのである。
その凡例として、柄谷は日本の傀儡満州国の建設に携わった、石原莞爾の敗戦後の日本への提言を引き合いに出す。『武装解除の日本人よ・・(中略)・・人類史を恒久平和に導く天命を拝受した・・』から、天命、必然的回帰のように、柄谷は解説する。
私はフロイドのつまびらかに読んでいないので、柄谷の説明の真意は理解できないが、外形的には良く判るところがある。しかしいくら何でも、関東軍幹部として主に裏で策謀を重ねた石原莞爾の言葉を、こんなところに引き出すのは不謹慎と言える。石原は転向したわけでもなく平和を志向してきたわけでもなく、自らを侵略者としての反省をしたわけでもない。むしろ石原が現憲法を強く支持したことへの違和感の方が強い。

九条の無意識してのもう一つの柱が、江戸時代の歴史的考察にい依拠するというのである。徳川幕府の体制は、現憲法そのものであるというのである。天皇をまず政治的場から外しながらも丁寧に祭り上げてきた。そしてないよりも戦争を放棄してきたというのである。260年間戦争は存在しなかった。暴力装置としての武士はほとんど機能せず、軍事的拡張を、徳川幕府は全面的に禁止したというのである。
これはとても解りやすい。徳川体制が、象徴天皇の存在と戦争放棄をしてきた。1945年からわずか80年前まで260年も続いたの江戸時代の社会体制が、われわれ日本人の無意識として底流に流れ、憲法九条を日本人は内なるものとして受け入れたという、柄谷の分析は私には新鮮である。
現行憲法は成立過程よりも、日本人として無意識であれ受け入れられていることを評価するべきである。アメリカが日本に望む能動的に軍事的に活動することを、日本人は無意識に拒否する。日本国憲法は、とりわけその平和主義という、ほとんど無意識として存在した重要性を強く意識するべき時期であると思われる。
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