そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

東京都民は石原慎太郎を知事に選んだことを恥じなければならない

2017-03-05 | 地方自治
石原慎太郎が大量の票を獲得して東京都知事に選出された。行政手腕もなければ、政治的見識もない。唯一政治家として彼を支えるのは、幼少期に叩き込まれた軍国主義、ナショナリズムである。東京都民はそれに気づくことなく、名が知れている作家を選んだポピュリズム感覚を反省するべきである。
一昨日の石原の弁明記者会見を見たが、ばかばかしくて開いた口が塞がらないというより、評論にも値しない会見だったといえる。弁明にもならない、無籍に極まりない会見といえる。上司が部下に責任を押し付け、私は悪くないとは、笑止千万であるが、石原なら仕方がない。
週に2日ほどしか出勤することなく、海外視察は豪遊といえるものである。舛添などのチンケな公私混同など、足元にも及ばないが、マスコミは石原は叩くことなく、舛添を面白おかしく取り上げ中傷し続けた。
新銀行東京には、1400億円もの都民の税金をつぎ込み破産した。日中関係を悪化させた歴史的愚策、尖閣列島を買うからと集めた金の行方もままならない。4男の作品を高額で都に買い込ませ、「余人をもって代えがたい」と意味不明の言葉を発した。なのにどうして、東京都民は石原慎太郎が好きなのだろうか。明瞭であっても、中身のない言語を並べ断定する技術が好きなのだろうか。

「最高責任者として、審議会なり専門家の特別委員会なり、あるいは議会は調査権を持っていろんな調査して、委員会でもきわどい採決で可決されたわけですけども。それを踏まえて、私は最高責任者として、とにかく豊洲移転に裁可願いたいということで、それを承諾して裁可しましたということで、私のハンコを預かっている課長さんが私のハンコを押してことが決まったわけです」
この文言に、石原慎太郎の無能と無責任が象徴的に表れている。一般社会では全く通用しない話である。「最高責任者として裁可したことに関しては責任があるが、私一人というよりも行政全体の責任だ」は、無責任もここに究めりといった感じだ。ハンコ押したけど俺に責任はないというのである。

農家は資金繰りに困り、友人や親せきに保証人になってもらうことがよくある。それでも倒産し離農することになると、「ハンコ押しただけ」という弁明などまったく聞き入れてもらえない。連鎖倒産も珍しくない。
石原慎太郎の、寝ぼけたような責任回避論など、どこの誰が聞いてくれるものか。石原には賠償責任がある。それができないようであれば、100条委員会開催など意味がない。
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