そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

突如として提案される”種子法”を廃止する法案に反対する

2017-03-31 | 農業と食
農林水産省は主要農作物種子法(いわゆる種子法)を「廃止する」法案を今国会に提出し3月23日に衆議院農林水産委員会が可決した。これから、参議院で審議が行われるが、種子法の廃止は国民の基礎的食料である米、麦、大豆の種子を国が守るという政策を放棄するものである。種子の安定的な供給と質の不安、それに多国籍企業の参入による種子の支配不安が背景に見て取れる。
法律が果たしてきた役割を議論せず、廃止ありきの政府の姿勢は問題だとして3月27日に有志が呼びかけて開いた「日本の種子(たね)を守る会」には全国から250人を超える人々が集まり、「種子の自給は農民の自立、国民の自立の問題」などの声があがている。

種子法は昭和27年、「戦後の食糧増産という国家的要請を背景に、国・都道府県が主導して、優良な種子の生産・普及を進める必要があるとの観点から制定」された。農の在り方、食の在り方、品種の改良をも規定してきた。この国家的な要請は都道府県に農業試験場を設置し、地域に根差した種子の改良などの技術的な発展を遂げてきた経緯がある。都道府県に技術開発を預けたことも大きく、気候風土が異なる地方の種子の開発、普及は農業の在り方に沿ったものともいえる。
その後日本は2、3次産業の発展で農業は留め置かれた感がある。農業技術は機械化大型化へと、昭和36年の農業基本法の施行で大きくシフトすることになる。しかし、種子法が支えた農業の基本的な発展は、その後の日本の食にとって大きな役割を果たした。食管法が廃止されてお米が美味くなったことを、国民は実感すべきである。そして、海外協力隊員として高齢者になった技術者は、日本が独自に発展させた技術を途上国に存分に提供してきている。
種子法の廃止は、企業側に沿った意見しか提供しない規制改革推進会議の提案であるが、民間の参入を阻害しているというのが理由である。種子の改良がこれまで国民に果たしてきたことを否定し、日本農業に貢献してきた実績は全く語られることはない。昨年10月6の会議で、唐突に出されたのである。会議では種子法についての議論もほとんどなく廃止だけが決まったようである。
これで国外から、モンサントなどの食料を金儲けの商品としか見ない多国籍企業などが参入する条件を整えたことになる。種子の開発は食料自給率を高める手段の一つである。国家が国民に食料の質と量を担保する、技術的な手段の一つと言える。種子の開発を企業に委ねることは大きな禍根を残すことになる。
食糧は重要な戦略物資である。食料自給にどうも鈍感な日本ではあまり論じられないが、食糧は人が存在する限り欠かすことができない。農産物は時間をかけた生産基盤と技術が求められ、2、3次産業とは明らかに異なる。TPPがトランプの御乱心でとん挫したが、農産物へのこうした海外からの攻撃は絶えることがなく、陰に陽に巧みに展開されている。
都道府県で開発した技術や施設は民間に売却される。民間と言ってもどこになるかわからない。遺伝子組み換え品種を開発することも可能になる。農業技術は意外と軍事利用されることが歴史的に見ても少なくはない。そうしたことへの歯止めも、民間移譲でかなわなくなるだろう。開発競争の激化がこうしたことへ拍車をかけることになるだろう。
アメリカですら州立大学が公共品種の開発、提供を行い、小麦の最大生産州カンザスでは州立大学と州農業試験場の種子の供給量が1,2位を占めているという。カナダの小麦は95%が公共品種で、長期的・安定的な提供をしている。公共品種の開発は食糧の安全保障の意味も深く、教育的役割も担っている。
安倍政権になってから農業に対する、非農業側からの的外れの要求や攻撃が絶え間ない。攻める農業などという、空論に国民が惑わされているのであろう。種子法の廃止もその一環である。種子法の廃止に反対する。

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