
BS8のプライムタイム、「改ざん防止になるか?”新”公文書管理案を徹底検証」を見たが、何とも情けないの一言である。自民党の竹見敬二は、「罰則を強化すると官僚が萎縮する」と発言して平然としていた。事実をしっかり何の虚偽もなければ萎縮などすることはない。むしろ公文書の客観的な価値が高いことを認められるのであるから、仕事に誇りを持てることになるはずである。
上記のように公文書とはないかを規定するのであるが、逆に言えば個人メモ、私文書はこの限りではない、というのである。お役人が業務時間内に、業務に関わることをメモであろうが書きとどめるのは、公文書である。自民党は、個人メモを範囲を広げようとして、逃げ道を作ろうというのである。又、「軽微」なものはこの限りでないというのである。軽微かどうかその時に判断できるはずがないし、歴史的価値のないものは外してよいというのである。そんなこと後に判断を受けるものであって、リアルタイムでしかもお役人が判断できるはずもない。
自民党は何とか逃げ道を作ろうという魂胆がありありである。軽微なものであるから廃棄した。歴史的価値は認めないと言って廃棄するのである。
政治の意思決定は後代の人たちが、検証できるようにしておかなければならない。特にその過程は重要であり、法の意味を検証できるようにしておかなければならない。
特に防衛省でのイラク派遣時の、自衛隊の日報隠ぺい改ざんは最悪である。このような危険な状態に置かれた自衛隊員は、たとえ事故が起きても判断材料がなくなる。そもそも作戦計画がその内容すら問われることがなのであれば、今後の計画も何もあったものではない。
福田康夫が政治生命をかけて作った公文書管理法は、森友学園のような決済後の改ざんとその前段の隠ぺいは想定外であった。5年後の検証も、全くやられることなく主犯である官僚は、法に問えないと大阪地裁は判断した。ともかく、公文書作成者が政治家の顔色を窺い、時には隠ぺいし、時には改ざんする、自らの諸くぎゅ意識すら放棄する官僚のs型がここにある。
これでは、中学生のホームルームである。「公文書に嘘は書かないようにしましょう」「公文書を隠さないようにしましょう」「公文書には全てを書きましょう」とか言うのであるから、何と低レベルの申し合わせか。世界一優秀と言われた日本の官僚は腐りきって地に落ちた。この頃発覚したのは氷山の一角でしかないだろう。
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公文書のお手盛りを自在にすることで権力の独裁化はさらに強まっていくだろう。権力の暴走を止めるのは我々国民の手にかかっているのだが言論・選挙・街頭デモだけでは攻めきれない。
腐るものを無理に腐らさないようにするには限界を感じる。腐りきって消滅するまで待つしかない。腐った後の新秩序を今から考えておいたほうが賢明かもしれない。