静岡県の川勝知事が、2013年度の全国学力テストで県内の公立小学校の国語が全国最下位だったことを受けて、成績が悪かった県内512校のうちの、下位100校の校長名を公表する意向を示した。
文科省の指導要領は学校名を公表しないこと担っているために、知事は校長名ならいいだろうと公表をするというのである。誰が見ても同じことである。知事は成績の悪かった学校へ良かったところの校長を移動させるとも発言している。
憤懣やり方ないのであろう。政治家として恥をかかされたと思っているのである。どのようなテストが行われたのか知らないが、政治家や権力者が教育を語るとこんなことになる。単なる見せしめに過ぎない。
日本という国での教育予算が十分確保されると、校舎ばかりが立派になってゆく。農業政策も同じである。道路や河川ばかりがコンクリートで固められて、周辺産業が潤うのである。
政治家が教育や農業を語ると、教育内容や子どもの未来や、食の安全や量の確保が検討されるのではなく、建物ばかりに金がつぎ込まれる。
学力テストの成績が悪いとなれば、子どもたちのことを考えることもなく、メンツが潰されたとばかりに、報復人事を行おうというのである。公表の意味は競わせることであって、教育的意味合いはないと言ってよい。
ひょっとするとそれらの学校は、イモ作りが上手かったり、合唱で優れた成績を起こしていたり、いじめが無かったり、欠席率が低かったりしているかもしれない。学力テストは一つの基準に過ぎない。
権力者は振り上げた拳の落としどころを模索するほどの理性はない。何かしでかすであろう。