日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

ひとまず、めでたし。

2017-03-12 18:13:57 | 私の雑感あれこれ
自治会の総会が終わった。

近年になくスムーズに。

例年みたいにバトルが交わされなかったね、という声も聞かれたり、、、。苦笑

参加者に敵意を沸かせなかったのは、会長さんの、、挨拶上手であり、わかりやすい説明でのおかげ。

決算報告もサクサクと進んで、ほっ。

突っ込まれたら説明できるから、不安はないのだけれど、会場がカリカリムードになるのは避けたかった。

よかったね、と肩の荷が下りた感を味わう役員のみんな。

相方の監査役さんが、「会計の○さんが、すごく丁寧にお礼を言ってくださった」と、その態度にビックリしたのか、私に連絡までしてくださった。笑

上半期の時、私たち頭を悩ませたものね~。

どんなふうに伝えれば、会計さんに、ぷんぷんせずに理解してもらえるか、監査役二人で喫茶店で話し合いまでしたものです。

監査役さんのおかげです、なんて言葉が聞けるなんて!

数字への質問しても、間違いを指摘しても、ブツクサ怒られたんだから、へんな立場だったなぁ~。

でも、いい決算報告書に出来上がったのだから、めでたし。

お昼は同じ会場で懇親会になったのだけれど、またまた、あとかたずけの時の気働きを、会計さんに褒められて(彼も気分上々だったのでしょう)これまでのこと帳消し。苦笑

ま、私、歳を取っているだけ、経験豊富というだけなんですけどね。












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歳月

2017-03-12 07:07:31 | 私の雑感あれこれ
昨日は、3.11というメモリアルディーだった。

もう6年、という。

6年というのは、これぐらいの歳月なんだ、と、その分量としての感覚を思う。

戦後4年目に生まれた、という意識が染みついているので、被災して6年がこんな状態なら、戦後4年では、、、という、そんな考え方。

自分自身は、戦争を知らないし、食糧難という実感もなく、今と比べると当然ものは少ないけれど、それが当たり前だから、不都合とは思わなかった。
だった、4年後に生まれたのだから、親(大人)にとっては、まだ戦争の悲惨さがしみ込んだままだったはず(父は3年目にようやくシベリアから戻ったのだし)。

ふ~ん、と思う。

今日からは震災後に生まれた子も、もう6歳になる。

前後生まれに倣うと、震災後生まれ、ということになる。

少しずつ、体験していない子供たちが育ってきて、被災イメージの払しょくに向かっていくのだろうか。

亡くなった命は、とても残念だけれど、戻らない。

助かった命と、次に生まれてきた命で、また、社会を築き、暮らしを立てていく、それに尽きる。

どうぞ、ひとつでも多く、よかったことがある日でありますように。

何のことはない、  ↑  って、私にも通ずること、です。

4年前の3.11のその時間には、孫が手術中でした。

窮地のさなかにあるときは、ただ助けてほしい、それだけ。

その日の予定が最善を尽くせたと報告を受けて、1週間後が無事で、1年後も大丈夫で、という風に過ごしてきたように思います。

もう4年たちました。

来月、また手術です。頭にメスを入れるのですが、髪の毛を切る必要がない、と聞いて、助かりました。

名前を書けるようになったと、画像が送られてきました。

日本の医療技術に感謝です。

だから、社会にお返ししなくっちゃ、と、私、そんな思考回路です。










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