新井啓子『さざえ尻まで』(思潮社、2022年04月29日発行)
新井啓子『さざえ尻まで』のなかに「旅の話」がある。以前、書いたかもしれないが、この作品がいちばんおもしろい。親戚で旅したときのことを、親戚が集まったときに思い出す。具体的なことは、前半に少し紹介される。それを受けての、後半部分。
集まるたびにみなが思い出話をする
何度もなんども同じ話が語られる
語る人数は減っていくが
語られるひとは変わらない
いなくなっても必ず語られるひとがいる
本当にあれだよね
しょうもなくあれさ などと
よくも わるくも
繰り返し語られる
何度もなんども語られるので
いったきり 帰れそうもない
「思い出話」は「旅の話」とは限らないだろう。
「語る人数は減っていくが/語られるひとは変わらない」はさりげなく、ひとが死んでいくことを語っている。葬式には、ひとが(親戚が)集まってくる。そうすると、葬儀の対象の故人の思い出話が出るのはあたりまえだが、ずーっと前に死んでしまったひとの話も出る。「いなくなっても必ず語られるひとがいる」。
「何度もなんども語られるので/いったきり 帰れそうもない」と新井は書くが、それは、結局、ひとというのは「いったきり」になるということかもしれない。「いったきり」になり、語るひとではなく、語られるひとになる。それが人間なのだろう。それが人間の「旅」なのだろう、と私は静かに納得する。
「影のひと」には、「あの日」、海でおぼれそうになったことが描かれている。
誰も 気づかなかった
(気づかれなかった
という行がある。
でもね、きっと気づいている。そして、それは「語られる」日がくる。
この「影のひと」の最終連。
煮付けにするとおいしいイトヨリが買われていく
石川魚屋の生け簀に傘の群れ
三叉路のウィンドウの前に母がいた
食材を得たゆるく結ばれた口元
あそこから あの日とおなじ
おかえり
が とんでくる
もう一度「あの日」が出てくる。
「三叉路のウィンドウの前に母がいた」は生きている母ではなく、死んでしまった母だろう。(生きているのだったら、ごめんなさい。)「あの日」というのは「遠い日」だが、思い出すと、「いま、ここにある、きょう」になる。同じように、死んでしまった「あのひと」も、思い出す瞬間に「いま、ここ」に「生きている」。
何かを思い出すことの美しさが、正直が、こんな形で語られる。
「クラウドボウ」という詩。
折れ曲がったきつい坂は
ちちははの来た径
折れ曲がった蔓草の茂る坂は
わたしの帰る径
どこへ「帰る」のか。「正直」に帰る。「自分」に帰る。それは、「あの日」を思い出すことである。「あの日」の「あのひと」を思い出すことである。自分を捨てて、「あのひと」になることである。「本当にあれだよね/しょうもなくあれさ」と「繰り返す」ことである。「繰り返される」もののなかに、「正直」がある。それは、たとえば「煮付けにするとおいしいイトヨリ」。母の言ったことばが、いま、新井の人感として生きていて、それが「おかえり」を誘う。「正直」と「正直」のつながり。
この詩集は、それをしっかりとつかんでいる。