高橋睦郎『深きより』(11)(思潮社、2020年10月31日発行)
「十一 泉を怖れよ」は「和泉式部」。
まだ恋も知らぬわたくしを 歌が訪れたのは 闇の中
それとも 歌そのものが纏つた闇 だつたろうか
いいえ もともとわたくし自身が耐へがたい闇の渦巻で
その暗い渦の力が 抗ひがたく吸い寄せた歌 ではなかつたか
この書き出しは「紫式部」について書いた「十 わたくしではない」に似ている。「わたくし」ではないものが「わたくし」のところへやってくる。紫式部はその結果「わたくしではない」ものになる。和泉式部は「わたくし」のまま、歌はやってきたのではなく呼び寄せたもの、というところが違うが。
そして、この「わたくし」を和泉式部は「闇の渦巻」「黒い渦の力」と呼んでいる。この「闇」「渦」は、こう言い直される。
それならば わたくしの竟の居場所は ほかならぬ恋の闇
さう思ひ定めて 渦巻く 闇の底に 立て膝に座を決めた
「闇の底」。「底」ということばが出てくる。「底」は、しかし、「行き止まり」ではない。「底を打つ」ということばがあるが、そういう「底」とはかなり違う。
有名な歌の一部を引いて、高橋は、こう言い直す。
つぎつぎに わが身よりあくがれ出る 歌の蛍火
点滅する火虫を産みつづける 闇の泉こそが わたくし
「底」から、何かが溢れ出る。噴出してくる。「泉」というのはたいてい「底」から水を噴き出している。「闇の泉」は水ではなく「あくがれ」を噴出する。それは蛍になってどこへともなく消えていく。
この噴出(出る)を「出る」にまかせるのではなく、和泉式部は「産む」のである。
この「産む」をキーワードとして読むならば、高橋は「詩を産む」。自分以外の誰かになることで、詩を産む。詩は生まれてくるものであるだけではなく、また、産むものなのである。
冒頭の一行にもどって言えば、詩(歌)は訪れてくるのではない。「わたくし(和泉式部)」が産み出したものが呼び寄せるのだから、その訪れそのものも「産む」と言える。つまり、和泉式部を訪れることで、「産み直される」ものなのだ。
詩はいつでも「産み直されるもの」と言い直せば、それはそのまま、この詩集の定義になるかもしれない。
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