山本育夫「しのふことは」(「妃」23、2021年08月21日発行)
山本育夫の詩は「博物誌」で読み続けてきた。「博物誌」の最新号も最近発行されたのだが、きょう読むのは「妃」に発表された「しのふことは」。
で、読むのは読んだのだが、感想を書こうとして、私は戸惑うのだ。詩が「清潔」になっている。それが「妃」という「場」の力のような気がする。私は、その詩がどこに書かれているかはあまり気にしたことがない。手書きであろうと活字であろうと気にしない。つもりだった。しかし、妙なのである。この「妃」に発表された詩は。
山本の詩で一番印象に残っているのは『ヴォイスの印象』である。それは茶色っぽいざら紙の上に印刷された非常に読みにくい詩集だった。誤字脱字の「正誤表」までついていて、それを引き合わせながら読むのも面倒だった。まだ若いときに読んだからよかったが、目が弱くなった今なら読んだかどうかわからない。で、その読みにくい詩集。そのなかで、ことばが頑張って生きている。ことばをかき消しにくる「ノイズ」にあらがって、声をことばの奥から振り絞っている、という印象があった。
「博物誌」に発表されている詩も「ノイズ」と戦っている。あるいは「ノイズ」そのものになろうとしている。ぐちゃぐちゃ。活字の大きさが違ったり、連構成になっているのか、レイアウトの都合で二つに分けているのか、なんだかよく分からない。面倒くさいものに出会いながら、そこにあることばを見つけだして、私の肉体のなかに取り込んで、そのことばになって動いてみる。そのときの肉体感覚、セックス感覚のようなものが、「妃」ではどうも伝わってこない。
「01 たいらな 干潟」を引用してみる。
引喩 か はかれた
ことは
か ならんている
夏の 干場 えんえんと
ときに 干からひて
ささくれも
めたつ
(遠く潮の匂う理髪店か つなかれている
問題は
ささくれ
前
に つきてる レリーフみたいな
ことは
イメージ する る
あるいは 横に すへる
ことは は を
それか はしまり
「干場」「問題」という漢字でかかれたことばには濁音があるが、ひらがなには濁音がない。濁音はないが、意味を追いかけるときは濁音つきのことばで追いかけてしまう。追いかけしてしまうけれど、追いついたら、その瞬間に濁音が奪いさられ、清音に戻る。これが、いやあな感じ。清音が濁音にかわったときの、「ノイズ」のいやらしさではなく、漂白されてしまったいやらしさ。濁音が嫌いという人もいるが、私は濁音を発音するときの喉の解放感が好きである。抑圧感がない。で、この山本の詩の濁音隠し、清音の強要は、どうも私の肉体を拘束してくる。自由がなくなる感じがする。
「博物誌」のように、紙面の周辺に(あるいは活字そのものに)「ノイズ」があれば、それに肉体を任せ、清音を、遠い声として聞くことができるかもしれないが、清潔な(高貴な?)「妃」の紙面の中では、この清音はほんとうにいやあな感じしかしない。
というのも。
イメージ する る
この一行の、「イメージ」ということばのなかにある濁音の力が、「する」というこばのなかから「る」を追い出していく。「る」をこぼしてしまう。ここには、いつもの山本の「ノイズパワー」がある。その一瞬に私の肉体は安心するが、安心するという一瞬があるからこそ、他の部分の「清音」の強要が、いっそう窮屈な「拘束」に感じられてしまう。
「03 ならへる」の
こともたね
たね
たね
みんなて うなつく
音かさ
さ
さ
さ
という展開は、まあ、美しいんだけどね。あ、これが書きたかったのかと思ったりもするし、ここから書き始めれば「おと に/ききみみたてて/すきゅん」という部分に感動したとも書けるだろうけれど、それはなんだか書きたくない。
私が書いていることは感想でも批評でもないかもしれない。私は、どこかで、そこにあることばに対して拮抗する「ノイズ」そのものでありたいという気持ちがある。私という音によって、そこにあることばが、それまでとは違った音に変わっていく、その瞬間のなかへ入っていきたいという気持ちがある。私も変わるし、そこにあることばも変わる。セックスのようにね。でも、「妃」の作品では、もしセックスというものが可能だとしても、それは山本の愉悦をガラス越しに見ているというような空々しさがある。
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