詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

誰も書かなかった西脇順三郎(104 )

2010-02-08 12:00:00 | 誰も書かなかった西脇順三郎

 乱調による破壊の音楽。それとは別に、加速する旋律の音楽というものもある。たとえば「野の会話」の3の部分。

ルソーの絵をみると
陰板の写真をみるようだ
光線の裏(うら)を発見した。
すべて樹も犬も
煙突も人間も
虎も花も皆
人形の家だ
新しい生物学を発見した。
また人間や動物の表情の中に
新しい表情を発見し
樹にも煙突にも初めて
表情を与えた。
ルソーは画家としてよりも
絵画によつて表現する新しい生物学者
として新しいサカイアの町人の詩人として
彼のパレットに菫の束を飾るのだ。
ここに家具屋の仕事がある。

 「発見した」ということばが次々にいろいろなものを集めてくる。「陰板の写真」「光線の裏」と「樹も犬も/煙突も人間も/虎も花も」というのは、私には違った「音楽」に聞こえる。「旋律」が違って聞こえる。「人形の家だ」は「不協和音」のようにさえ聞こえる。けれど、それが「新しい生物学」ということばへ飛躍するとき、それは、私には「陰板の写真」や「光線の裏」を調をかえて繰り返された旋律のように感じられる。そして、同時に、テンポが、音楽の速度がかわったような感じがする。音楽のテンポが加速したような感じがする。
 それは「生物学」から「表情」へと加速し、「絵画によつて表現する新しい生物学者」と繰り返されながら、さらに加速していく。スピードにのって「絵画による生物学者」から「(絵画による)詩人」に飛躍する。さらに「家具屋」に。
 ここには、乱調はない。

西脇順三郎と小千谷―折口信夫への序章
太田 昌孝
風媒社

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