詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

誰も書かなかった西脇順三郎(225 )

2011-07-01 22:37:51 | 誰も書かなかった西脇順三郎
 『壌歌』のつづき。「Ⅱ」の部分。
 西脇の詩には、高尚なこと(?)と俗なことが並列して出てくる。そこが私は好きだ。高尚なことばは窮屈である。その窮屈さを俗が破ってくれる。
 モナカ屋のおばあさんに、「人間は宇宙人だ」と言わせたあとの、つぎの部分。

三軒茶屋でつかれはて
ミョーガをにた汁をかけ
ウドンをたべるころは
桃色の夕暮が
野原のまん中におりていた

 実際に西脇がうどんの薬味にミョウガをつかったのかどうかわからないが、この「肉体」の感覚が私はとても気に入っている。
 私はミョウガが大好きである。
 そういうどうでもいいことが、ある詩を好きにさせるということもある。
 この部分の前には、「ソバの白い花」や「コホロギ」も出てくるのだが、私はこの「ミョーガ」だけで夏を感じるのだ。西脇の詩は「季節」を描いているわけではないが、この瞬間に「季節」がくっきりみえる。そうして私自身の「肉体」が目覚める。うどんをにミョーガのにた汁をかけるのだから、夏は夏でも、涼しくなりかけた晩夏--という感じがぱっと体のなかを洗っていく。
 そうすると、めんどうくさい「哲学」のことばは、まあ、いいか、別なときに考ええようという気持ちになる。
 「哲学」からの離脱が楽しいのである。

 そして、「肉体」がリフレッシュするから、「桃色の夕暮」が美しくなる。「精神」で見ているのではなく「肉眼」そのもので世界と出会っている感じがする。




西脇順三郎詩集 (岩波文庫)
西脇 順三郎
岩波書店

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