詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

金田久璋『理非知ラズ』

2020-12-27 10:36:18 | 詩集


金田久璋『理非知ラズ』(思潮社、2020年11月23日発行)

 金田久璋『理非知ラズ』は詩集のタイトルになっている作品、それに関係する作品がおもしろいのだが、違う作品を取り上げて感想を書いてみる。
 「騙し絵」。サブタイトルがついている。このサブタイトルは「説明」になっているので、少し興ざめである。ない方が真剣に読むことができる。だから、ここではあえてサブタイトルは省略しておく。

一頭の雌鹿をめぐって
枝角をはげしく打ちつける
何度も 火花を放つほど ゆるやかな草のなだり
逆光にうかびあがる その雄姿のなんと崇高なことか

一名エルク 本来は
北米インデアンのショーニー族の言葉で
ワーピティ 白い尻と呼ばれた牡のアメリカアカシカが
ビャクシンやセコイアの密林に
襲いかかる捕食者からいっとき身を隠す

六本に分岐した 相似形の
雄々しい枝角が つつましく
木々の枝を真似ている

騙すつもりが みずから騙されるように
時には冬毛の鬣を幹に擦りつけ
交差する下枝に絡まり そのまま雁字搦めに
息絶えたアカシカの骨格が 標本を真似て
しらじらと樹間に晒されている
時間が降り積もり やがて化石になる ひとしずくの涙は琥珀に

 この「時間が降り積もり やがて化石になる ひとしずくの涙は琥珀に」が非常に美しい。この詩集の中で、私は、この行がいちばん気に入った。
 鹿に対する「同情」をつきやぶって、ことばが「絶対」に触れている。
 多くの詩の場合、「同情」がそのまま「抒情」になるのだが、「情」を拒絶する「非情さ」が、この一行にある。
 自然というか、宇宙というか。そういうものは人間の「情」とは無関係に、絶対的に存在する。そして、それが人間の「情」を拒絶するからこそ、そこに「美」が完璧なものとして存在する。
 こういう「美」を非人間的という理由で嫌うひともいるが、私は、とても好きだ。
 詩は、こうつづいていく。

万華鏡の星月夜が 落葉し
凍てついた枝組みの間に瞬く 星座のトランプルイユ
憐れむ神のまなざしの向うに
垣間見る 耀変天目の響きあう永遠

群れなすコヨーテの遠吠えが草原になびき
暮れ方の叢雲を呼びさます
巌を割る遠雷の轟き
稲光りが空に根をはりめぐらす

 最後の「稲光り」が下の「枝角」に見える。鹿は死んで、その「枝角」を宇宙に「根」としてはりめぐらせるのである。
 「ひとしずくの涙」と「宇宙に広がる稲光りの根」が鹿の死、残された「枝角」によって結びつく。この特権的なことばの動きは、現在の詩の状況の中では、非常にめずらしく、また貴重なものだと思う。

 という理由の他に、この詩をとりあげた理由がある。

一頭の雌鹿をめぐって
枝角をはげしく打ちつける

 この二行は、セックスと結びついている。そして、そのセックスは「エロチシズム」を超える。
 「理非知ラズ」という章にあつめられた作品はセックスを描いている。
 「理非知ラズ」は、こうはじまる。

添え乳しながら
長らく禁欲を強いられてきたつれあいと
乳繰り合いまぐわう 甘噛みの息づく薔薇色の
胸の小籠に 摘まれた桑の実のときめきに

 これは、まあ、「エロチシズム」を誘うかもしれない。しかし、「乳繰り合う」は、どうか。

という言葉だけで
なぜか勃起した思春期以来
もやもやは収まることなく

 あるいは、「涜神」は、どうか。

夢精を知り染めて 日頃
悪童呼ばわりされる少年たちが
不揃いの七人の背丈の向こうへと
みずから超えんとして 勇み挑む
ことの顛末の

放物線のさきになにが待ち構えているのか
野末の小屋の土間に古新聞を敷きのべ
一列に並んで 一斉に青い血潮の
滾ったいちもつをしごく

 こういうことばは、エロチシズムというよりも、「エロチシズム」が何かわからない「初めての性欲」のような潔癖さがある。そして、その潔癖さに同調するように、ことばそのものが非常に潔癖である。
 野生の純粋さがある。これは、鹿の性欲、雌を求めて死闘を繰り広げる雄鹿の「肉体」をつらぬき、突き破っていく力である。野生の力だ。
 考えてみれば「エロチシズム」というのは「野生」のものではなく、「文化の力」だね。
 金田のことばには、「文化の力」ではなく「野生の力」を感じさせる潔さ、全体的な非情さがある。








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