詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

閻連科『太陽が死んだ日』

2022-10-12 10:01:45 | その他(音楽、小説etc)

 

閻連科『太陽が死んだ日』(泉京鹿・谷川毅=訳)(河出書房新社、2022年09月30日発行)

 閻連科『太陽が死んだ日』は、夢のなかで夢をみるような小説である。それは「さっきの夢から覚めていた瞬間は、夢の中の一節にすぎなかったように。」(31ページ)と書かれている。夢から覚めたということさえも夢なのだ。
 こういう小説では、ストーリーのことを書いても、私には意味はないように思う。夢なのだから、ストーリーはあっても、それは「便宜上」のものにすぎない。何かを語るには、どうしてもストーリーが必要というだけのことであり、重要なのはストーリーではなく、「語り方」だと思うからだ。「語り方」そのものが「夢」なのだ。
 私は中国語が読めない。私が読んだのは、泉京鹿、谷川毅というふたりの訳なので、ふたりのことばの関係もよくわからない。これまで私が読んできた閻連科の小説は谷川毅の訳。今回、泉京鹿がくわわった理由はわからない。わからないことだらけなのだが、気付いたことを書いておく。
 この小説には、いくつかの「文体」がからみあっている。「前の方(前書き?)」にすでに特徴があらわれているが、「巻一」から。

 今度はどこから話そうか。
 今度はここから話そう。                    (15ページ)
 
 短い、同じことばが繰り返される。この書き出しは、まったく同じではないが、ほとんど同じ。しかも、それは「改行」されて繰り返される。

 どこの家もみんな夢遊するようになった。
 誰も彼もが夢遊するようになった。
 天下も世界もみんなが夢遊するようになった。          (23ページ)

 これは、「書き方(語り方)」として不経済だと思う。つまり。たぶん、こういう「作文」を学校の課題で書いたら、「もっと簡単に、繰り返されることばは省略したら」と注意されるだろう。でも、閻連科は整理しない。閻連科が書いているのは「ストーリー」ではないからだ。では、何を書いているのか。
 ことばは、加速する。
 そのことを書いている。「家」から「誰も彼も」と家の外へ飛び出し、それが「天下/世界」へと加速しながら拡大する。加速しないことには拡大できない。
 それは23ページへ戻って、次の部分。書き出しの二行の、すぐそのあとにつづく。

 それは太陰暦の六月、太陽暦では七月の三伏天、旧暦六月六日の龍袍節、天気は大地の骨が折れて割けるほどに暑かった。大地の皮膚の産毛がすっかり灰になるほどに。枝は枯れ、葉は萎びてしまった。果実は落ち、花は散ってしまった。毛虫は空中でぶらぶらしているうちに、ちょっとずつミイラの粉末になってしまった。

 「暑い」描写が積み重ねられる。ひとつに焦点が絞られるわけではない。加速し、移動しながら、拡大する。描写は、何よりもことばの運動なのだ。そこには、「静止」ということがない。
 こんな美しい描写もある。

この年の小麦はいい出来だった。麦の粒は大豆のように膨らんでいる。粒が割けて中から小麦粉が出てきてしまうほどに膨らんでいる。こぼれ落ちる。黄金の麦の穂が路面に落ち、穂も粒も人を躓かせた。                    (17ページ)

 どこまでつづいていくのだ、と私は笑い出してしまう。少し、ガルシア・マルケスを思い出したりする。書き始めると、ことばが加速し、新しい世界を開いていく。ことばを動かすまでは存在しなかった世界が、ことばのスピードにひきずられて、歪み、そこから隠れていた世界が姿をあらわす感じだ。
 夢とは、まさに、こういう感じだ。なんでもないものが、動き始めると、止まらない。次々に変形していく。加速しすぎたために、もう、元の世界には戻れない。新しい世界を突ききっていくしかない。

 だからみんな急いで刈り入れる。
 我先にと麦を刈り入れ、我先にと脱穀する。           (17ページ)

 こういう加速には、ことばが重複することが大事なのだ。重複があるから、同じ「ストーリー」だとわかる。重複しなければ、わけのわからない世界になってしまう。閻連科にとって、重複は加速するスピードにとっての必然であり、重複はそこに「ことばの肉体」があることの証明でもある。人間の「肉体」は成長して、変化しても、同一の人間であることの「証拠」のようなものだが、閻連科の重複は、それに似ている。
 この加速は、あるときは「句読点」をなくしてしまう。主人公(?)の少年を、盗賊が次の襲撃場所を案内させるために連れていくシーンだ。(217、218、219ページ)長いので、そのはじまりの部分。

おまえのお父さんはおじさんを憎んでておまえのお父さんは善良で優しくて邵大成がおまえのおじさんだからどうしようもなくてだからいつも嫁さんに死人の出た家の花輪には紙の花を多めに付けさせたしおまえのお母さんに死装束の布はいいものを使い死装束の針と糸は密に施して死装束の刺繍がきれいにしっかりできるようにさせた(略)

 ここでも重複することばが「しりとり」のように「ストーリー」をつなげさせている。この部分は、いわば、この小説の「ストーリーの過去」である。他人が見た過去というのは、こんなふうに切れ目なくつづいているのかもしれない。それに対して、「いま」は、そういう切れ目を切断しながら、加速し、乱雑に、爆発、暴走していくものなのだろう。「いま」は過去ではなく「未来」というまだ決まっていないもののなかへ動いていく。

やってきたのは未来と過去の時間と歴史だった。         (287ページ)

 「いま」は書いている「ことば」の運動のなかにしかない。「過去」にひきもどされないためには、「未来」をつかむためには、ただことばの運動のなかで、ことばそのものになって、動くしかないのである。
 この小説には、「閻連科」が出てくるし、ときどきゴシック体の文字もあり、そのゴシック体の部分には、

この様子は、閻連科の小説の『日月年』のどこかのようだった。  (330ページ)

 という「補足」がついている。ふいにあらわれる「過去」をとりこみながら、それを突き破っていく。それは、「未来」へ進めば進むほど、そこに「過去」が噴出してくるという「歴史」そのもののようにもみえる。「未来」へ進むことは「過去」へたどりつくことでもある。だから、閻連科の世界は「神話」に似ている。「寓話」ではなく、現代の「神話」なのだと、思う。
 最初に引用した「暑い」描写からわかるように、それは「無意味」なくらい「人情」というものから遠い。人間ではなく、「神」が見ているのだ。この非情さ(同情しない)潔さは、「神」としか言いようがない。この小説は、ある意味では、とても残酷な世界(殺戮)を描いているのだが、それが「ギリシャ悲劇」のように感動を引き起こすのは、それが「人情」ではなく「非情」の世界だからだろう。

 ノーベル賞がことばの運動に影響を与えるわけではないが、今年、閻連科がノーベル賞をとれなかったのは、残念だ。ミラン・クンデラにも受賞してほしいなあ、と私は思っている。多くの人が、小説を読むきっかけになる。

 

 

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