詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

谷川俊太郎(詩)川島小鳥(写真)『おやすみ神たち』(23)

2014-11-30 10:37:19 | 谷川俊太郎『おやすみ神たち』
谷川俊太郎(詩)川島小鳥(写真)『おやすみ神たち』(23)(ナナロク社、2014年11月01日発行)

 「声」とは何か。--「音楽」について考えてきたあとでは、「声」はまず「音楽」として私の「肉体」に響いてくる。

声がひそむ
水平線に

声が届く
意味を越えて

声がつまずく
意味の小石に

声が沸く
意味がこぼれる

声が痩せる
文字にまで

 一連目、二連目は「声」を「音楽」に変えてもいいかも。いや、実際、私は「音楽」として読んでしまう。
 「声」は「肉体」から出てくる音。たいてい「ことば」といっしょに出てくる。ことばには意味がある(ことが多い)。水平線にひそんでいる「声」は「ことば」になりきれていない。「未生のことば」。それは音だろうなあ。やがてメロディーになり、リズムになる「音楽」の出発点。意味をもった「ことば」になるかもしれないけれど、意味にならなくてもいい。
 二連目の「意味を越えて」は、意味にならないまま、意味が抱え込んでしまう「枠(限界)」を越えてという感じかな。「未生のことば」が「未生」のままの「音」として、意味を追い越す、あるいは意味を突き破って動く。
 それは意味を「越えて」なのか、意味を「開いて」なのか。
 私は「開いて」という感じで受け止める。

 谷川が書いている「声」から少し離れてしまうのだが、私はときどき「日記」を書いていて不思議なことを体験する。私はもともと「結論」を想定せずにただ書いているのだが、書きたいことを書いてしまったあと、自分の「肉体」が中心からぱーっと開いて、そこからことばが無意識に動いてくるときがある。「肉体」がぱーっと開いて、ことばが誘い出されるときがある。
 高村光太郎は、ぼくの前に「道」はない、歩いたあとに「道」ができる、と言ったか、そういう「一本の道」という感じではなく、「一本」という「方向」と「前後」というものが消えて、突然、ただの「空間」に飛び出した感じ。
 書きながら、自分にはこういうことが書けるのか、と驚いたりする。ほんとうに自分のことばなのかな? いつか、どこかで読んだことばが「肉体」のなかから飛び出してきているだけなのかな? 誰かの文章を無意識に「剽窃」しているのかな?
 「無意識」というと変な感じだが、「無意識」だなあ。「意識」の枠にとらわれずにことばが動く。それまで書いてきた「意味」を無視して、ことばが勝手に動く。
 自分の考えてきた「意味」、動かしてきた「意味」を引き裂いて、自分の「肉体」の中心からことばが出てくる。それは、どこかから「声」が届く、というのに似ているかもしれない。

 それは、そのまま突っ走ることがある。
 でも、ときどき、一行も動かないところで、突然とまってしまうこともある。何かに「つまずく」。谷川が書いているように「意味」につまずくのかもしれない。「論理」につまずくのかもしれない。
 あれっ、これでは先に書いたことと矛盾してしまうなあ、と感じる。それが「つまずき」だな。
 あ、ここからは、「声」を「音楽」ではなく「ことば」と言いかえた方がいいのかもしれないなあ。「音楽」も「意味」を言い出すと、つまらなくなるから、「音楽」が「意味」につまずくでもいいのかもしれないけれど……。「未生の声(意味を持たない純粋な音)」が外に出てしまった瞬間から「ことば」になって「意味(論理)」をつけくわえられ、動きにくくなる。

 四連目の「声が沸く」とはどういうことだろう。「意味」につまずき、「意味」にじゃまされ、いらだって怒ること(怒りの感情が沸く)ことかな? そういうとき「ことばにならない感情」だけがあふれるスピードが速すぎて、「意味」はきちんとととのえられないまま、押し流される。「意味がこぼれる」とは、そういうことだろうか。感情の奔放な流れが、「意味」をしぶきのようにばらばらにしてしまう。
 こういうとき、そこに「感情」があるのはわかる。「意味」がわからないのに、「感情」はわかってしまう、という不思議なことがおきる。「意味」と「感情」をつかみとる「肉体」は別なものなのかもしれない。そして、変な言い方だが、「感情」をつかみとれたとき「意味」がわからなくても、納得してしまうということがある。(私の場合だけかもしれないが……。)
 「ことば(声)」は「意味(論理)」を気にしなければ、もっともっと豊かな「表現」を獲得できるのだろうなあ、と思う。
 でも「意味(論理)」を無視して「ことば(声)」が動きつづけるというのはむずかしい。どうしても「意味(論理)」に押し切られてしまう。社会が「意味(論理)」を優先しているからだろう。合理的に動くには「意味(論理)」が必要なのである。
 他人が主張する「意味」につまずいて、自分がもっている「意味にならない意味(未生の意味)」が感情に押し流されてばらばらにこぼれ散り、そのあと残っている「ことば」をととのえる。文字に書いて確かめる。もう、そこには「声」の豊かさ、はち切れるような充実はない。痩せた「肉体」のような「文字」と「意味」があるだけだ。
 あ、私は知らず知らずに、「声」を「ことば」に置き換えているなあ。「ことば」が「肉声」を失って(肉を取り除いた分だけ痩せて)、「文字」になると考えているなあ。

 で、「声」を「ことば」と考える--そういう方向に詩が動いているのは、谷川が「ことば」を「意味」だけでないと考えているということになるだろうと思う。(私は私の勘違いを、ひとのせいにする癖がある。こんなふうに思うのは、私に原因があるのではなく、そのことばを書いた人=谷川に責任がある、と問題をすりかえるのである。)
 谷川にとっては、ことばは「意味」よりも「声」に出したときに生まれる何かなのである。息を吸い込み、それを吐き出す。その吐き出す息を、喉や口や舌で変化させながら「音」にする。そのとき「肉体」全体が「音」にあわせて動く。反応する。言いにくい音、聞きたくない音を無意識に避けるかもしれない。自分の好きな音をゆっくりあじわいながら「肉体」がその瞬間を楽しむということがあるかもしれない。
 「声」には「肉体」がある。「肉声」とは「意味」に抽象化されてしまう前の、もっと個人的な「声」のことだが、具体的な「肉体」があって、そこからすべての「声」が動きはじめる。

 この詩の「声」は「ことば」と書き直した方が、論理的になるかもしれないが、谷川はそう書かないで「声」と書きつづける。

 ここでまた「声」を「音楽」にもどしてもいいかもしれない。音楽、耳で聞いた悦びを、文字(ことば)にすると、音楽のなかにあるいちばん豊かなものがなくなる。「文字」は音をもたない。音楽を文字で語りはじめると、音楽が「痩せる」。(すばらしい批評は「音楽」をもう一度記憶のなかで鳴り響かせるかもしれないけれど、それは「肉体」そのものを刺戟するわけではない。)
 谷川は「痩せた声(音楽)」は嫌いなのだ。「音楽」を痩せさせる「意味」が嫌いなのだ。「意味」ではないものに「音楽」を感じている。「音楽」を「意味ではない」と感じている。

 もうひとつ。
 谷川の詩でおもしろいのは、詩のなかで「主語」が微妙に、しかし、とてつもないスピードで動いてくということがある。
 この詩の場合、各連は「声が」ということばではじまり、主語は「声」のままだが、それは外見のことであって、実際に違う。「音(音楽)」になったり「ことば」になったりしている。
 (この変化を内部で支えているものを、谷川はタマシヒ、あるいはココロと考えているかもしれない。私は「肉体」と考えるけれど……。)
 そしてそれは「意味」とぶつかり、そのたびに変化する。ただし、その変化を「ここが変化しました」と谷川は書かない。説明を省いて、どんどん変わっていく。この変化のなかには、当然「時間」がある。「時間」があるのだけれど、それを省略して「一瞬」のように書いてしまう。「時間」と「一瞬」が結びついて、それが「永遠(真理/真実)」に結晶するような驚きがある。

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1 コメント

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谷川さんの詩「おやすみ神たち」(23) (大井川賢治)
2024-03-08 15:22:39
この2行の5連詩には、意味が何度も出てくる。「意味」は田村隆一の詩のことばの主役の一つである。谷川もやはり、田村の影響を強く受けたのだろうな?と思ってしまう。
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