詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

破棄された詩のための注釈20

2020-09-12 22:36:38 | 破棄された詩のための注釈
破棄された詩のための注釈20
                        谷内修三2020年09月12日

 彼が、飲みかけのコーヒーを奪うように飲んだとき、ただの白いカップが夏の鮮やかな光を反射し、影が自在に動いた。テーブルの上の積み上げた本にも。そして、開いたノートに書き散らした文字が美しい詩になった。「人間には欠点がある。たとえばふけ頭とか」ということばさえも。
 闖入者の予想もしなかった動きによって、あらゆるものがくつがえされ、新しくなった。見慣れていたものが、初めて見るものとして立ち上がってきた。

 「真実とは、自分のことばで組み立てた考えのことであって、自己のなかにしか存在しない」ということばをどこに挿入すればいいのか。頭が混乱した。



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