中国の温家宝首相の日本訪問に合わせた記事だったのだろうか?
温家宝首相が中国に帰国した4月13日、人民日報系の日刊紙
「環球時報(GLOBAL TIMES)」は、現代中国語で使用されている
数多くの和製漢字語を紹介しながら、その導入の歴史を考察する
評論記事を掲載した。
もちろん、「ヲタク」は中国語の原文ではなく韓国の中国発外信
報道(電子版)でその記事を読んだ。
「環球時報」電子版の更新が4月6日で止まっており関連記事の
原文を確認することはできなかったが、過去、中国が和製漢字語を
「無分別に導入した」という批判的な視点は、あくまで韓国人記者
(連合ニュース)による主観的な評価なので、その辺は差っ引いて
読む必要がある。
現代中国語の社会・人文用語の約70%を占めているという和製
漢字語の背景には、「無分別」どころか中国を近代化に導こうと
する主体的努力の歴史が隠されていることが、「ヲタク」にはよく
理解できた。
ある意味で、その歴史は「日中友好の歴史」の貴重な一ページ
だとも言えるだろう。
一方、「ヲタク」が見るに、韓国語の社会・人文用語の95%
以上を占めていると思われる和製漢字語について、韓国メディアが
そうした「不都合な真実」を正面から考察し記事化することは、
まずない。
中国と違い、韓国では極一部の和製漢字語がまるでスケープ
ゴートのように「日本帝国主義支配の残滓」として各種メディアで
指弾されることは現在でも多いが、そのトータルな実像が客観的に
伝えられることは、まずあり得ないのだ。
悪辣なる日本の植民地支配とそれへの抵抗にのみ「光」が当て
られている現代韓国社会の一般的歴史認識からは、和製漢字語の
導入はもとより朝鮮近代化の歴史がすっぽり抜け落ちている。
この種の論議は、まかり間違えば日本の植民地支配に「免罪符」を
与えることにもつながりかねず、扱いが極めて難しい問題である
ことは事実だろう。
現代韓国社会の強烈な民族主義や複雑な対日意識を考える時、
植民地時代に進んだ朝鮮の近代化をどう見るのかという問題は、
当面、不都合でデリケートな今日的課題であり続けるしかないの
かもしれない。
以上、中国発の外信報道を読んで、つらつら考えたことである。
紙面の関係上、韓国語原文の引用は省き、翻訳練習の結果のみ
記録しておく。
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■ 1世紀前の中国、「和製漢字語」を無分別に導入
(連合ニュース 4月15日)
服務、組織、紀律、政治、革命、党、方針、政策、申請、解決、
理論、哲学、原則、経済、科学、商業、幹部、健康、社会主義、
資本主義、封建、共和、美学、美術、等等・・・。
中国でよく使われているこうした日常用語は、実は全て日本で
作られた漢字語だ。
中国の人民日報が発行している姉妹紙「環球時報」が13日、
中国で使用されている「日本式漢字語」の実態に触れながら、
無分別な和製漢字語導入をめぐり1世紀前の中国で戦わされた
論争を紹介し注目を引いた。
環球時報によれば、中国で使用されている社会、人文分野の
用語の約70%が日本から導入された一種の外来語だ。
清朝末期、日清戦争に敗北した中国では康有為が中心となって
(自主的な近代化の試みである)「維新変法」を進めたが、その取り
組みが(保守派の抵抗により)挫折した後、和製漢字語が本格的に
中国に流入し始めることになったと言う。
その頃から中国は近くに存在する日本に注目し始め、中国の
近代化を志す多くの留学生が西欧の文物を間接的に学ぶため
日本に渡り始めた。
近代中国の代表的知識人として知られている梁啓超も和製
漢字語の普及に大きな影響を与えた人物の一人だ。彼は日本に
(亡命し)居住しながら日本の小説などを翻訳し自らが創刊した
雑誌「清議報」に連載するなどした。
梁啓超はこうした活動に加え、周囲の中国人に日本の文章や
本を多く読むように薦め、同時期の多くの中国人留学生が日本の
本を中国語に翻訳し中国に普及させた。1900年代以降、こうした
翻訳作業はさらに発展し日本で発行される中等教育レベルの
教科書がほぼ全て中国語に翻訳されるまでになった。なかには
日本の大学教授の講義内容まで中国語に翻訳され出版される
こともあった。
こうした「翻訳運動」を通じ和製漢字語が中国の知識層を中心に
社会全体に急速に広まって行ったのだ。
もちろん、こうした動きに対する警戒心や反発が全くなかったわけ
ではなかった。清朝末期、(守旧派の)名宰相であった張之洞は、
日本から流入して来る新造語に対し使用禁止令まで出した。
また、清朝末期の思想家でイギリスへの留学経験を持つ厳復は、
日本式の漢字語が本来の意味を正確に反映していないとして
批判を加えた。
彼は日本が「経済」と翻訳した「economy」は「計学」と訳すべきだと
主張した。それ以外にも、「社会学」は「群学」、「資本」は「母財」、
「進化」は「天演」、「哲学」は「理学」、「形而上学」は「玄学」と
訳すべきだとの自説を展開した。
-以下省略-
(終わり)