今回も、見た通りの順当な展開。
とはいえ、幾つか気になったこともあった。
一つは、古の説明にあった、「常時スーパーサイヤ人化」のくだりw
いや、本文では一応伏字だったけどw、サイヤ人だよね。
で、ここのところのネギの振る舞いは、どう考えてもドラゴンボールでしょ?
というのは誰もが言ってたことだけど、
作中で言及されたってことは、作者自身、このことは意識して「敢えて」やってる、ってことだよね。
つまり、いや、これ、DBをパロってるから、っていうのは、作者もわかっててやってる。
だから、読者の皆さんも、とりあえず、わかった上で笑って楽しんでくださいな、ってシグナル。
つまり、あるところまでは、わかってやってるのだから、
どこからか、DBとは違う、ネギまらしい展開を仕込んでるからさ、
そこで、サプラーイズ! って叫んでよね、一緒に!
って言われたような気がした。
で、そう思ったら気になってきたのが、ネギ=常時スーパーサイヤ人化に伴う、人外化、の話。
要するに、エヴァの仲間入り、ってことなんだけど。
やっぱり、こうなった事自体が、魔法世界を救う鍵じゃないのかな、と思えてきた。
つまり、人間と魔族の融合体、というあり方が。
いや、ネギはまだそうなったかどうかはわからないけど、
いずれにしても、
人間と魔族が共存する状態をどうイメージするか、
というのが、もともと、魔法世界が創造されたきっかけの一つなんじゃないか、と思うのだよね。
だって、魔族の動きって、そのまま魔法使ってるようなものじゃない。
ハーフの龍宮隊長だって、この魔法の濃度なら、魔族化できるといってるわけだから、
魔法と魔族は密接に関わっている。
ただ、魔法世界設立時の思惑と、実際、それが稼働してからの、魔法世界人の思惑は違っていて、
というか、魔法世界人は魔法世界人で、自分たちの「生活」重視で勝手に増殖していったわけで。
そのあたりのバランスを、エイヤーで世界を書き換えるという荒療治で何とかしようとしていたのが、フェイトらの「完全なる世界」だった。
でも、もともとの創造時の状態まで遡れば、異なる解の見つけ方もあるでしょ、というのがネギの考えていることじゃないかと。
そして、そこまでネギがたどり着けそうだからこそ、墓守の主もネギの方につこうとしたってことじゃないだろうか。
で、常時スーパーサイヤ人wモードで、フェイトとガチの殴り合いを始めたのも、
ほら、僕、人間じゃない、でも、君と互角でしょ、
君も僕も変わらないじゃない、どこも、
というのをわからせようとしているんじゃないかな。
そうすることで、フェイトらの計画の遂行意志を削ぐ、ということで。
で、このレベルになって、はじめて、ネギの「開発力」が重要な鍵を握る。
でも、振り返ってみれば、ネギの「開発力」とは、
ネギが熱心に「学んできた」ところに起因しているわけだから、
みんな、地道に学んでいけば、なんとかなるのだよ、
ということを表しているようにも思う。
だって、まきえやゆうなたちだって、初歩的な魔法は使えるわけだから。
ユエのようなケースもあるし。
そういう意味では、人間側が少しずつ魔法を学べば、
とりあえず、魔法世界の消滅は回避できる、とかなんじゃないかなー。
で、その世界的な広報活動をするために、雪広コンツェルン?の力が生きる、
ってことのような気がしている。
要するに、学園祭の時の超戦が、表向きは、雪広コンツェルン主催のゲームイベントとして実行されたように。
そのような、ゲーム仕立てのフレームを作ることで、多くの人々の参加をそれとなく募ることが出来る。
なんか、そういうことのような気がするんだよなぁ。
で、やっぱり、鍵は魔族ですよ、魔族w
ということで、次回を待つw
とはいえ、幾つか気になったこともあった。
一つは、古の説明にあった、「常時スーパーサイヤ人化」のくだりw
いや、本文では一応伏字だったけどw、サイヤ人だよね。
で、ここのところのネギの振る舞いは、どう考えてもドラゴンボールでしょ?
というのは誰もが言ってたことだけど、
作中で言及されたってことは、作者自身、このことは意識して「敢えて」やってる、ってことだよね。
つまり、いや、これ、DBをパロってるから、っていうのは、作者もわかっててやってる。
だから、読者の皆さんも、とりあえず、わかった上で笑って楽しんでくださいな、ってシグナル。
つまり、あるところまでは、わかってやってるのだから、
どこからか、DBとは違う、ネギまらしい展開を仕込んでるからさ、
そこで、サプラーイズ! って叫んでよね、一緒に!
って言われたような気がした。
で、そう思ったら気になってきたのが、ネギ=常時スーパーサイヤ人化に伴う、人外化、の話。
要するに、エヴァの仲間入り、ってことなんだけど。
やっぱり、こうなった事自体が、魔法世界を救う鍵じゃないのかな、と思えてきた。
つまり、人間と魔族の融合体、というあり方が。
いや、ネギはまだそうなったかどうかはわからないけど、
いずれにしても、
人間と魔族が共存する状態をどうイメージするか、
というのが、もともと、魔法世界が創造されたきっかけの一つなんじゃないか、と思うのだよね。
だって、魔族の動きって、そのまま魔法使ってるようなものじゃない。
ハーフの龍宮隊長だって、この魔法の濃度なら、魔族化できるといってるわけだから、
魔法と魔族は密接に関わっている。
ただ、魔法世界設立時の思惑と、実際、それが稼働してからの、魔法世界人の思惑は違っていて、
というか、魔法世界人は魔法世界人で、自分たちの「生活」重視で勝手に増殖していったわけで。
そのあたりのバランスを、エイヤーで世界を書き換えるという荒療治で何とかしようとしていたのが、フェイトらの「完全なる世界」だった。
でも、もともとの創造時の状態まで遡れば、異なる解の見つけ方もあるでしょ、というのがネギの考えていることじゃないかと。
そして、そこまでネギがたどり着けそうだからこそ、墓守の主もネギの方につこうとしたってことじゃないだろうか。
で、常時スーパーサイヤ人wモードで、フェイトとガチの殴り合いを始めたのも、
ほら、僕、人間じゃない、でも、君と互角でしょ、
君も僕も変わらないじゃない、どこも、
というのをわからせようとしているんじゃないかな。
そうすることで、フェイトらの計画の遂行意志を削ぐ、ということで。
で、このレベルになって、はじめて、ネギの「開発力」が重要な鍵を握る。
でも、振り返ってみれば、ネギの「開発力」とは、
ネギが熱心に「学んできた」ところに起因しているわけだから、
みんな、地道に学んでいけば、なんとかなるのだよ、
ということを表しているようにも思う。
だって、まきえやゆうなたちだって、初歩的な魔法は使えるわけだから。
ユエのようなケースもあるし。
そういう意味では、人間側が少しずつ魔法を学べば、
とりあえず、魔法世界の消滅は回避できる、とかなんじゃないかなー。
で、その世界的な広報活動をするために、雪広コンツェルン?の力が生きる、
ってことのような気がしている。
要するに、学園祭の時の超戦が、表向きは、雪広コンツェルン主催のゲームイベントとして実行されたように。
そのような、ゲーム仕立てのフレームを作ることで、多くの人々の参加をそれとなく募ることが出来る。
なんか、そういうことのような気がするんだよなぁ。
で、やっぱり、鍵は魔族ですよ、魔族w
ということで、次回を待つw