ちょっと続きが気になったので、とりあえず漫画版の続きを読んでみた。
で、ちょっとアニメ版最終話への感想から修正したくなった。
というのも、漫画版の方の物語や描写を素直に受け止めれば、この話は、ヒラクの農家の話というよりも、「大樹の村」の物語という感じだったから。
その意味ではタイトルに偽りありで、本当は「異世界のんびり農村」だった。
「農家」ではなく「農村」ね。
それくらい話の中心は、いかにして「大樹の村」を、村長であるヒラクが拡張していくか、その部分にあるから。
その過程で、様々な種族が「大樹の村」に加わっては、異文化体験の驚きが示されていくもの。
で、その異文化体験の一つとして、物語の早い段階で一夫多妻制についての描写が組み込まれていた。
まぁ、そういう意味では、ハイエルフたちが登場した時点で「種族繁栄」のための子作りが明確に組み込まれていた。
加えて、漫画の画風もどちらかといえばギャグ寄りだったので、もっぱらこの子づくりの話も、体育会系肉食女子の襲来!みたいな感じでライトに描かれていた。
もちろん、そこに男性視点の願望が投影されているのは間違いないけど、でも、それもギャグとして笑い飛ばせる程度。
むしろ創造神から与えられた「健康な体」があまりにも健康すぎた、というオチまで設定的にはあって、なのでまぁ笑える程度のもの。
むしろ、そうした「異文化体験」のギャグ調のコメディを、アニメにする際にキャラデザに沿ってちゃんと作画したために、むしろ無駄に萌え化、というかエロ化して見せてしまったのが、逆にちぐはぐな感じになっちゃったんだろうな。
いやー、キャラデザって大事なんだな、って痛感。
そのイメージに引きずられて画面そのもののトーンが決まり、その結果、物語の印象も変わってしまうw
で、タイトルは「異世界のんびり農村」でよかった、と書いたように、実際の物語は、直接的な戦闘のない「転スラ」みたいなものだってこと。
村をどう作っていくかという話。
あー、でも、「大樹の村」に集まった人たちを全部ひっくるめて「家族」とみなせば、「農家」といっても、ギリギリ意味が成立するのかもしれないけれどね。
ということで、漫画版の印象は全然違っていたので、その違いについて記した次第。
しかし、原作のほうはまだまだ続いているみたいだから、なんか、凄いねw
実は、漫画版も含めて、この物語は、要所要所の展開が、それなりにちゃんと筋の通る構成になっていて、でも、それでいて、ちゃんと人情モノになっているところが上手い。
なので、また思いついたらちょっと書くかも。
でも、村長バンザイ!な感じが、リムル様バンザイ!ほど鼻につかないのは、きっと、ヒラク自身はずっと自分がただの人間で、健康な体にしても万能農具にしても、神様から授かったギフトだと思って、ひたすら畑を耕すしかしてないからなんだろうけどね。
だって、食糧の心配が一切ない村って、そりゃ、それだけでパラダイスだもんね。
で、ヒラク自身も、万能農具のお陰で実は作中ほぼ無敵!みたいな立ち位置にあるわけど、でもそれも村民が皆ついてきてくれる理由としての権威付けみたいなものにとどまっているから。
ドラゴンとか吸血鬼の始祖とか、周りの凄い人がヒラクのことを凄いと思うことで、ヒラクの凄さが確立される、そういう意味では彼自身が神様みたいな、ありがたがられる存在になっているということで。
豊穣の神ヒラク、とでも思ったほうがわかりやすい。
それなら、彼がとにかく子だくさんな存在でもわかる。
地母神ならぬ地父神みたいなものと思えばいいってことで。
なんかそう思うと恐ろしく納得がいったw
で、ちょっとアニメ版最終話への感想から修正したくなった。
というのも、漫画版の方の物語や描写を素直に受け止めれば、この話は、ヒラクの農家の話というよりも、「大樹の村」の物語という感じだったから。
その意味ではタイトルに偽りありで、本当は「異世界のんびり農村」だった。
「農家」ではなく「農村」ね。
それくらい話の中心は、いかにして「大樹の村」を、村長であるヒラクが拡張していくか、その部分にあるから。
その過程で、様々な種族が「大樹の村」に加わっては、異文化体験の驚きが示されていくもの。
で、その異文化体験の一つとして、物語の早い段階で一夫多妻制についての描写が組み込まれていた。
まぁ、そういう意味では、ハイエルフたちが登場した時点で「種族繁栄」のための子作りが明確に組み込まれていた。
加えて、漫画の画風もどちらかといえばギャグ寄りだったので、もっぱらこの子づくりの話も、体育会系肉食女子の襲来!みたいな感じでライトに描かれていた。
もちろん、そこに男性視点の願望が投影されているのは間違いないけど、でも、それもギャグとして笑い飛ばせる程度。
むしろ創造神から与えられた「健康な体」があまりにも健康すぎた、というオチまで設定的にはあって、なのでまぁ笑える程度のもの。
むしろ、そうした「異文化体験」のギャグ調のコメディを、アニメにする際にキャラデザに沿ってちゃんと作画したために、むしろ無駄に萌え化、というかエロ化して見せてしまったのが、逆にちぐはぐな感じになっちゃったんだろうな。
いやー、キャラデザって大事なんだな、って痛感。
そのイメージに引きずられて画面そのもののトーンが決まり、その結果、物語の印象も変わってしまうw
で、タイトルは「異世界のんびり農村」でよかった、と書いたように、実際の物語は、直接的な戦闘のない「転スラ」みたいなものだってこと。
村をどう作っていくかという話。
あー、でも、「大樹の村」に集まった人たちを全部ひっくるめて「家族」とみなせば、「農家」といっても、ギリギリ意味が成立するのかもしれないけれどね。
ということで、漫画版の印象は全然違っていたので、その違いについて記した次第。
しかし、原作のほうはまだまだ続いているみたいだから、なんか、凄いねw
実は、漫画版も含めて、この物語は、要所要所の展開が、それなりにちゃんと筋の通る構成になっていて、でも、それでいて、ちゃんと人情モノになっているところが上手い。
なので、また思いついたらちょっと書くかも。
でも、村長バンザイ!な感じが、リムル様バンザイ!ほど鼻につかないのは、きっと、ヒラク自身はずっと自分がただの人間で、健康な体にしても万能農具にしても、神様から授かったギフトだと思って、ひたすら畑を耕すしかしてないからなんだろうけどね。
だって、食糧の心配が一切ない村って、そりゃ、それだけでパラダイスだもんね。
で、ヒラク自身も、万能農具のお陰で実は作中ほぼ無敵!みたいな立ち位置にあるわけど、でもそれも村民が皆ついてきてくれる理由としての権威付けみたいなものにとどまっているから。
ドラゴンとか吸血鬼の始祖とか、周りの凄い人がヒラクのことを凄いと思うことで、ヒラクの凄さが確立される、そういう意味では彼自身が神様みたいな、ありがたがられる存在になっているということで。
豊穣の神ヒラク、とでも思ったほうがわかりやすい。
それなら、彼がとにかく子だくさんな存在でもわかる。
地母神ならぬ地父神みたいなものと思えばいいってことで。
なんかそう思うと恐ろしく納得がいったw