ウズベキスタンのブハラにユダヤ教の教会シナゴーグあるというガイドブック・ロンリープラネットの指摘で自由時間を利用して出かけて見ました。ユダヤ人は12,3世紀からブハラに住むようになりヘブライ語を話さないディアスポラ(離散民)ということです。根深い制度的な差別を受けながらブハラでは商業面で重要な役割を果たしてきました。ソビエト連邦崩壊後、イスラエル、アメリカ合州国に移住する人たちが急速に増えブハラの人口の7%を占めていたものが現在2%以下になっています。そして100年前までは七つあったシナゴーグは1920年以降一つになりました。(以上ロンリープラネットCentral Asia p60,314による)
人口数の実際は2%(5000人)よりももっと減少して600人になっているとはこのシナゴーグでの話です。
訪れてまず最初にびっくりしたことは受付の女性がイスラーム教徒だったことです。長年の差別ということにもかかわらず、このことは我々が考える差別とは意味合いが違うのかもしれません。ここは学校でもありました。現在ラビの資格を持つ人がいなくなり代理の人が旧約聖書を教えていました。生徒数は10数人でした。現在生徒の総数は160人だそうです。ここを出たところでもう一つシナゴーグがあるので案内するという人(イスラーム教徒)が現れました。そこで時間を気にしながらいくことにしました。
そこにもう一人「この地域のユダヤ人に関する文献に興味がないか」という人物が現れました。時間もなかったので一応断りましたが、あとで考えると少し残念。こちらのシナゴーグのほうが立派でした。イスラエル国旗が飾られていました。したがってロンリープラネットの現在一つというのは間違いのようです。イランからやってきた(迫害?)という高齢の女性がいました。帰り道同じシナゴーグを訪ねるというイスラエル人に出会いました。 写真は最初のシナゴーグの祭壇です。ここは撮影が認められました。