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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

番外編 お墓 アルメニア 1

2005年12月17日 09時25分46秒 | 

  アルメニアの首都エレバンではジェノサイド(虐殺)博物館へ行きました。アルメニア人大虐殺ついてあまり知られていないのでご存知ない方もおありと思いますので簡単に紹介しておきます。

 ヒトラーが以下のようなことを言っています。「アルメニア人殺しがすでに忘れ去られようとしていると同じように私のユダヤ人殺しもまもなく忘れ去られるであろう」 ヒトラーのユダヤ人大虐殺の先生がトルコのアルメニア人殺しだったのです。

 アルメニアは古くからの伝統を持つ国で、世界で最初にキリスト教を国教にしたことを誇りにしています。(301年)ヨーロッパを旅行していると各地でアルメニア教会に出会います。エルサレムにもあります。アルメニア人は当時オスマン帝国に支配されていました。19世紀の終わり頃より独立運動が盛んになり弾圧も激しくなり虐殺もされました。それがピークに達したのが1915年のことでした。100万人~200万が虐殺されと言われています。1922年ごろまで続いたといわれています。したがって現在のトルコ共和国を作った人たちも関係していたと言う説もあります。

 なお独立運動のみが虐殺の原因ではないと思われます。商売では三人のユダヤ人が一人のアルメニア人にあたるといわれることがあります。オスマン帝国末期に商売上手なアルメニア人が経済的地位を高めてきました。それに対して政治支配階級の領主と貧困な一般民衆の両者からの妬みがこの悲劇の根本的理由かもしれません。

 このときクルド人の悲劇がありました。アルメニア人を殺せばクルドの独立を認めるというトルコ政府の扇動に乗ってこの大虐殺にクルド人も一役買ったのでした。(この部分は私の質問に現地ガイドが答えたこと)

 そのため多くのアルメニア人は世界各地に離散しました。現在、アルメニア人の総人口は700万人でそのうち400万は海外に居住しているといわれています。トルコに復讐するための秘密結社があるといわれています。フォーサイスの小説にもチラッと出ています。

 しかしいまだに現在のトルコ政府はこれらの事実を認めようとせず、したがって謝罪もしていません。最近の朝日新聞は次のように伝えています。

 ノーベル文学賞に最も近いトルコ人作家といわれるオルハン・パムク氏が「100万人のアルメニア人が殺された。だが私以外にだれもそのことを語ろうとしない」と発言したことを理由に国家侮辱罪で起訴されている。

  皮肉なことにイスラエルはトルコ政府のアルメニア人虐殺否定に同調しています。

 トルコのEU加盟をめぐってこの問題が国際的にクローズアップされることが十分に考えられます。

 現地ガイドは虐殺博物館では事実を淡々と述べただけでしたが、夕食時での私との話の時(英語なので殆ど分かりませんでしたが)apologize(謝罪)という言葉が私に強く迫ってきました。写真は虐殺博物館の入口の掲示板です。