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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「スペイン・ポルトガル」編 現地ガイド1 コルドバのイザベルさん

2009年05月06日 14時10分47秒 | スペイン・ポルトガル

 1996年にスペインを訪れた時何かの弾みで現地ガイドに「あなたの国で現在、過去を通じて尊敬する人は誰ですか?」という質問をしました。このような質問は私自身に向けられても返事に困りますが、このときの現地ガイドはいとも簡単に「現国王ファン・カルロス」と答えてくれました。ビックリしました。13年前のことですから正確には覚えていませんが、その後7・8人に同じ質問をしたところ2人を除いてすべて同じ答え「現国王ファン・カルロス」でした。ますますビックリです。その理由を私なりに考えてみました。

 スペインでは1975年までフランコによる独裁ファッショ政治でした。彼の死後、彼の政治路線を引き継ぐ勢力と、社会党、共産党を中心とする民主勢力との対決が過去のスペイン内乱(1936~39)再来の危機になりました。そのとき今までフランコ側に担がれていたファン・カルロスは民主勢力の立場に立ち内戦の危機を救い現在のスペインの民主体制の礎を造ることになりました。これが「現国王ファン・カルロス」尊敬の理由だと思いました。

 そこで今回も同じ質問をすることにしました。今回も正確にはメモを取っていないので数字的には正確ではありませんが、20人くらいの現地ガイドに同じ質問をしました。今回は即座に「ファン・カルロス」と答えた人は比率的には少なく4・5人くらいでしたが、「たとえば、ファン・カルロスは」と水を向けると「勿論、多くのスペイン人は」という答えが返ってきました。両者で3分の2くらいになりました。

 今回は違った答えをしたコルドバの現地ガイドイのザベルさんを紹介します。彼女の答えは「共和国派の人々」でした。ちょっとビックリです。1936年に合法的に成立した「人民戦線政府」に対してフランコが武力反乱を起し内乱(1936~39)となりついにフランコが勝利し、ファッショ独裁政治が成立し1975年まで続きました。彼女の「共和国派」というのはこの「人民戦線政府派」のことです。ちょっとビックリというのはスペインではこの「スペイン内乱」について語ることは一種のタブーだったからです。というのは内乱時にスペインの人たちは親子、兄弟、親戚が「フランコ派」と「人民戦線派」に分かれ骨肉相食むことになったからです。その痛みが内乱終結後も長く残り現在に至っています。彼女の父親は共和国側の人で彼女が4歳の時フランコ派に殺されたそうです。「人民戦線派」の人たちの生き残りの多くは外国に亡命しました。北欧に5人の人たちが逃れそれを記念しての5本の指の彫像が残されているそうです。彼女が成長して北欧に旅行しそれを見たとき涙を流したという話をしてくれました。

 スペイン内乱のとき「人民戦線派」に対して多くの国際義勇軍が参加しましたが、そのなかに唯一の日本人ジャック・白井(ただし日系アメリカ人)がいましたが、彼女は彼の名前を知っているといっていました。

 ついでにカトリック教の重要な考えのマリアの「無原罪懐胎」(マリアの処女懐胎)を信ずるかどうかも尋ねてみました。彼女の返事はあいまいでカトリック教徒であるので信じざるを得ないという感じでした。(この問題については次回にします)

 写真は彼女と同行の方です。この同行の方は英語が堪能で「スペイン内乱」についても関心をお持ちで、この現地ガイドの英語を通訳していただきました。感謝します。 

コメント (1)
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