100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

89
歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「ベラルーシ・ウクライナ・モルドヴァ」編 歴史スポット ソ連共産党の誕生と終焉3

2012年08月15日 08時29分55秒 | ベラルーシ・ウクライナ・マルドヴァ

 

 写真を見てナンジャコレハと思われるでしょうが、じつはバスの窓から見える赤い屋根のようなものがウクライナのフォロスにあった当時のゴルバチョフ大統領の別荘で1991年反対派によってここに軟禁されクーデタが起きたところです。此のクーデタは失敗に終わりますが、これが契機になりソ連邦と共産党は崩壊します。ということで世界史的にもロシアにとっても重要な場所です。

残念ながらこのような写真になった理由は道路が高速で車は停車も徐行もしないので事前に教えてもらっていたにもかかわらず私の運動神経の鈍さのためこのような次第にあい成りました。この別荘を完全に写真に収めた人もいましたが。海は黒海です。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ベラルーシ・ウクライナ・モルドヴァ」編 歴史スポット ソ連共産党の誕生と終焉2

2012年08月15日 08時26分20秒 | ベラルーシ・ウクライナ・マルドヴァ

 

 ソ連邦共産党時代の残像がありました。そうです。レーニン像をいくつか見ました、この写真は同じミンスクの国会議事堂広場です。さすがにスターリン像は見ませんでした。今までの旅行ではスターリンの生地グルジョワのゴリで見かけただけです。(2008年8月20日紹介)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ベラルーシ・ウクライナ・モルドヴァ」編 歴史スポット ソ連共産党の誕生と終焉1

2012年08月15日 08時21分56秒 | ベラルーシ・ウクライナ・マルドヴァ

 

 歴史スポットとしては、すでに紹介したヤルタ会談のリヴァーディア宮殿は超弩級ですがその他にもこの地域には歴史に名をとどめるところがいくつかあります。そこでそのいくつかを紹介します。

ベラルーシのミンスクで1898年にロシア社会民主労働党、のちのソ連共産党の創立大会が開かれた木造家屋を訪れました。(写真)観光コースには入っていなかったので内部の見学ができなく外からの写真だけになりました。

 当時レーニンはシベリア流刑中で参加をしておらず、参加したのは9人でしたがロシア革命で名を残したしたような人はいませんでした。

 9人のうちの一人アレクサンドル・ヴァノフスキーは1919年に日本に亡命し、東京でロシア語教育と日本研究に携わります。そのまま1967年日本で亡くなりました。(「歴史の狭間のベラルーシ」p40)

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする