実は今はこの地は1941年のナチス・ドイツの攻撃を1カ月間耐えた要塞と言うことで有名のようで要塞公園として残されており写真のようなモニュメントがあり広大な広場に要塞博物館もありました。条約が締結された「白亜館」はこのナチス・ドイツの攻撃の時破壊されました。旅行社のパンフレットにもブレスト・リトフスク条約の締結の場所としての案内もありませんし、私が質問しなければ現地ガイドの前項のプレートの指示もなかったかもしれません。
第一世界大戦の終わり近くロシアでは革命が起きロマノフ王朝は崩壊しソヴィエト政権が成立します。革命政権は政権維持のためドイツ側とかなり不利な条件での単独講和を余儀なくされます。その講和条約が結ばれたところが現在のベラルーシのブレストで1918年のことでした。そこでこの条約のことをブレスト・リトフスク条約と呼ばれています。その場所は本来修道院として建てられたもので「白亜館」と呼ばれていました。現在は写真のように廃墟になっています。