サンティアゴ・デ・クーバのサンタ・イフィヘニア墓地にホセ・マルティのお墓がありました。キューバの国旗に包まれた石棺です。
「タド」さんコメント有難うございました。「葡萄と酒人」を拝見しました。どうですか、パリンカも発売されたら。なかなかのお酒ですよ。
サンティアゴ・デ・クーバのサンタ・イフィヘニア墓地にホセ・マルティのお墓がありました。キューバの国旗に包まれた石棺です。
「タド」さんコメント有難うございました。「葡萄と酒人」を拝見しました。どうですか、パリンカも発売されたら。なかなかのお酒ですよ。
キューバの首都ハバナの空港はホセ・マルティ空港と呼ばれています。フィデル・カストロ元議長は自分を「使徒マルティの弟子である」と自称しています。キューバ革命を嫌ってアメリカ合州国のマイアミの亡命者の中にもマルティ思想の継承者であると主張する人も少なくないそうです・
ホセ・マルティ(1853~1895)は生涯をキューバ独立に捧げた人物です。彼は第1次戦争に影響され1869年16歳の時反逆罪で投獄されます。その後世界各国を転々としながら独立運動を続けます。1895年彼は同志と共に武器を満載した3隻の船でキューバ東部のプライターに上陸しました。第2次独立戦争の始まりです。しかし彼は上陸して1カ月後に戦死します。
「キューバの社会主義体制については『マルティ思想』という観点から読み解いていくことが必要だ」とは後藤政子氏です。(「キューバを知るための52章」p50)
写真はハバナの革命広場にあるホセ・マルティ像です。この写真も同行者竹田さんから頂いたものです。
前回「1878年第1次独立戦争はスペインからの一定の譲歩を獲て終わります(サンホン条約)」と紹介しましたが、それに対してこの条約に反対して「奴隷制の即時廃止なき和平は受け入れられない。ただちに戦闘を継続する」と宣言したのが黒人で黒人部隊の司令官アントニオ・マセオ(1845~1896)でした。彼の銅像をサンティアゴ・デ・クーバで見ました。