霊廟の隣にカストロのゲバラへの追悼の辞がありました。スペイン語は全然わかりませんが、最初の“Gracias”はスペイン語圏の旅行中には必須の単語で「ありがとう」で、次の”Che”はゲバラですね。”tu”は「君の」で ”historia”は分かりますね、「歴史」。”vida”は辞書を引くと「人生」、”ejemplo” は英語の”example“で模範という意味でしょうか。というわけで皆さん日本語訳を付けてください。
サンタ・クララの戦いで一躍有名になったゲバラですが本来は1928年アルゼンチン生まれのアルゼンチン人です。1955年メキシコでカストロと出会い彼に共鳴して喘息という持病を持ちながら独立革命軍に参加することになりました。革命政権樹立後政権ナンバー2の地位に就きますが、1965年世界の抑圧された人々の解放を目指して最後の手紙をカストロに残してキューバを去り最後はボリビアでのゲリラ戦で戦死(1967年)をします。歴史では多くの理想に燃えた革命家が登場しますが、いったん権力を手に入れた革命家が自らその地位を放棄して困苦に満ちた生活を選ぶ人が今までいたでしょうか。いませんね。全く人類史上希有な人物ですね。
日本との関係
1959年アジア・アフリカ親善大使として来日し12日間日本に滞在し、その間広島を訪れ原爆慰霊碑に花束を捧げています。この時「アメリカにこんな目に遭わされておきながら、あなたたちはなおアメリカの言いなりになるのか」と語ったという話があります。
そのゲバラの霊廟と像がサンタ・クララにありました。(1997年建立)