ソ連邦共産党時代の残像がありました。そうです。レーニン像をいくつか見ました、この写真は同じミンスクの国会議事堂広場です。さすがにスターリン像は見ませんでした。今までの旅行ではスターリンの生地グルジョワのゴリで見かけただけです。(2008年8月20日紹介)
ソ連邦共産党時代の残像がありました。そうです。レーニン像をいくつか見ました、この写真は同じミンスクの国会議事堂広場です。さすがにスターリン像は見ませんでした。今までの旅行ではスターリンの生地グルジョワのゴリで見かけただけです。(2008年8月20日紹介)
歴史スポットとしては、すでに紹介したヤルタ会談のリヴァーディア宮殿は超弩級ですがその他にもこの地域には歴史に名をとどめるところがいくつかあります。そこでそのいくつかを紹介します。
ベラルーシのミンスクで1898年にロシア社会民主労働党、のちのソ連共産党の創立大会が開かれた木造家屋を訪れました。(写真)観光コースには入っていなかったので内部の見学ができなく外からの写真だけになりました。
当時レーニンはシベリア流刑中で参加をしておらず、参加したのは9人でしたがロシア革命で名を残したしたような人はいませんでした。
9人のうちの一人アレクサンドル・ヴァノフスキーは1919年に日本に亡命し、東京でロシア語教育と日本研究に携わります。そのまま1967年日本で亡くなりました。(「歴史の狭間のベラルーシ」p40)
ウクライナのチェルノフツイにある1875年創立のチェルノフツイ大学は2011年に世界遺産に指定されました。写真は正面入り口から見たものですが、lonely planet は「夢見る尖塔」と呼ばれていると紹介し、覚せい剤を使用しながらの旅行の感じがするとも言っています。建物を疑似ビザンチン様式、疑似アラブ様式、疑似ハンザ様式と説明しています。私にはよくわかりませんが、皆さんはどう思われますか。
ヨーロッパ最後の森と言われるベラヴェジ自然保護区はポーランドとベラルーシの両国にまたがり1万7千ヘクタールの広さがあります。ここの目玉はヨーロッパバイソンです。以前はヨーロッパ全土に生息していましたが一時絶滅しその後動物園などで飼育されていた数頭を基に回復されこの保護区で約300頭が生息しています。
最初に出迎えてくれたのはバイソンではなくイノシシでした。
今回の旅行では3か所の世界遺産を訪れました。最初はベラルーシのミール城でした。2000年に登録されその理由は異教・正教・カトリックの要素を兼ね備え、ベラルーシ・ゴシックと西欧ルネサンスの様式が結合したユニークな建築ということです。
これについて2004年に出版された「不思議の国ベラルーシ」の著者服部倫卓氏は「私はこのニュースを聞いた時、複雑な心境だった。喜ばしいと思う反面、『あのミール城が?世界遺産というのはそんなに簡単なものか』という白けた気持ちを拭えなかった。***この城の価値を否定しようというのではない。問題は保存状態の悪さと、現政権によるぞんざいな取り扱いである。***それでもミール城は***例外的に恵まれたケースである。この国では、古い建築物が無傷で残っていることは、皆無に近い」(p86~87)と述べています。
シリア内戦の激化を連日マスコミは報道しています。シリア旅行は2006年4月でしたが現地ガイドのニダールさんが現アサド大統領の熱烈なファンであったこと思い出しました。それについてはこのブログで2006年5月15日に紹介しています。彼のmoderate(穏和、節度)という言葉は今も記憶に残っています。ガイドの仕事も少なくなっているでしょうし、どうしているか心配です。
またシリア第二の都市人口170万人(1999年統計)のアレッポで内戦が激化して20万人が脱出したという報道がありました。調べてみるとアレッポは訪問しているのですが、ブログでは紹介していませんでした。そこで平和時のアレッポを紹介してみることにしました。
写真はアレッポの城塞です。1098年1124年と2度にわたる十字軍の攻撃に耐えたアレッポの象徴的難攻不落の城塞です。