グランマ号の上陸したところまでは現在はこのように道が付いていますが当時は勿論この両脇を見れば分かる通りマングローブの密林でした。カストロ、ゲバラなどの上陸したことを察知したバチスタ政権は飛行機で空からの攻撃をしました。ゲリラ軍は沼沢地のマングローブ密林に隠れながら命からがらシエラ・マエストラ山頂にたどり着いたのはわずか12名でした。しかし、カストロは「勝利は近い」と演説して同志たちを驚かせたという有名なエピソードが遺されています。その後、2年半にわたってこの地でのゲリラ戦を戦い次第にバチスタ政権を追い詰めていきます。
ハバナにある本物のグランマ号はガラスケースに収められているため写真ではよくわかりませんが、グランマ号が上陸した地点、(2月17日地図)現在世界遺産に登録されている(1999年)グランマ国立公園にレプリカが展示されていました。長さ19.2mメートル定員8人の小さなヨットです。
ハバナ市内にある革命記念館に白いヨットがガラスケースに収められ展示されていました。(写真)フィデル・カストロら82人の若者たちが1956年に革命のためにメキシコからキューバに帰国した時に乗り込んでいたグランマ号です。キューバ革命の始まりです。グランマとは「おばあさん」という意味です。
1895年に始まった第2次独立戦争は1898年にアメリカ合州国の干渉を招きアメリカ合州国対スペインの戦争(米西戦争)になります。この戦争はアメリカ合州国の勝利になりキューバはアメリカ合州国の占領下におかれ1902年にアメリカ合州国に従属したキューバ共和国が成立します。その時に9・11の容疑者が拷問を受けたことで有名になったグアンタナモ米軍軍事基地が提供され現在に至っています。(今回の旅行でグアンタナモを訪れたいと思い旅行社に依頼をしましたが以前は許されていたが現在は駄目になっているということで残念でした)
以後、最大の産業である砂糖産業はアメリカ合州国の砂糖会社の独占となりキューバはアメリカ合州国の砂糖農場と化しました。政治的には 完全にアメリカ合州国の従属国となりました。
その長きにわたり対米従属と抑圧的反民主主義的な政治経済を打破しようとして立ち上がったのがフィデル・カストロ(1926~)でした。1953年7月26日カストロら165人の青年はサンティアゴ・デ・クーバにあるキューバ第2の兵営であるモンカダ兵営を襲撃しました。自分たちの行動を起爆剤として市民の蜂起につなげ対米従属のバチスタ政権を倒そうとしたのです。しかしこの作戦は失敗に終わり165人の内8人が戦闘で死亡。その後捕虜になった61人が軍によって虐殺されます。カストロは奇跡的に助かり後にメキシコに亡命しそこでエルネスト・チェ・ゲバラと運命的な出会いをします。
写真は今は博物館になっている弾痕の残るモンカダ兵営です。
サンティアゴ・デ・クーバのサンタ・イフィヘニア墓地にホセ・マルティのお墓がありました。キューバの国旗に包まれた石棺です。
「タド」さんコメント有難うございました。「葡萄と酒人」を拝見しました。どうですか、パリンカも発売されたら。なかなかのお酒ですよ。
キューバの首都ハバナの空港はホセ・マルティ空港と呼ばれています。フィデル・カストロ元議長は自分を「使徒マルティの弟子である」と自称しています。キューバ革命を嫌ってアメリカ合州国のマイアミの亡命者の中にもマルティ思想の継承者であると主張する人も少なくないそうです・
ホセ・マルティ(1853~1895)は生涯をキューバ独立に捧げた人物です。彼は第1次戦争に影響され1869年16歳の時反逆罪で投獄されます。その後世界各国を転々としながら独立運動を続けます。1895年彼は同志と共に武器を満載した3隻の船でキューバ東部のプライターに上陸しました。第2次独立戦争の始まりです。しかし彼は上陸して1カ月後に戦死します。
「キューバの社会主義体制については『マルティ思想』という観点から読み解いていくことが必要だ」とは後藤政子氏です。(「キューバを知るための52章」p50)
写真はハバナの革命広場にあるホセ・マルティ像です。この写真も同行者竹田さんから頂いたものです。
前回「1878年第1次独立戦争はスペインからの一定の譲歩を獲て終わります(サンホン条約)」と紹介しましたが、それに対してこの条約に反対して「奴隷制の即時廃止なき和平は受け入れられない。ただちに戦闘を継続する」と宣言したのが黒人で黒人部隊の司令官アントニオ・マセオ(1845~1896)でした。彼の銅像をサンティアゴ・デ・クーバで見ました。
2月17日にコマーシャルした「パックツアーの達人が教える海外旅行」が3月31日南日本新聞の読書欄で紹介されました。鹿児島の主要な本屋さんに並べてありますが、アマゾンからも購入可能です。出版社に直接御注文いただくのが一番簡単かもしれません。1800円+消費税+送料無料
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この第1次独立戦争の時ペルチョ・フィゲレドが革命軍歌を作詞作曲しました。それが現在のキューバの国歌になりました。作詞作曲した10月20日は国民文化の日になっています。ここバヤモが彼の生地で彼の碑に詩と楽譜がありました。なおこの写真は同行者の竹田さんから頂いたものです。
彼の生家は今は博物館になっています。彼はその後独立反乱軍内部の対立から大統領の職を解職され1874年スペイン軍によって殺害されます。1878年第1次独立戦争はスペインからの一定の譲歩を獲て終わります(サンホン条約)。