100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「アルジェリア」編 アルジェ  アブド・アルカーディル広場1

2019年06月14日 08時05分02秒 | アルジェリア

 

 アブド・アルカーディル(1802~1883)の騎馬像に出会いました。彼はフランスのアルジェリア植民地化に抵抗した人物でアルジェリア民族運動の父と評価されています。1827年の「扇の一打」(後日紹介)を契機として1830年にフランスの武力による植民地化が始まります。それに対してイスラームの名の下に異教徒の侵略への抵抗を指導し一時はアルジェリアの3分の1をも制するほどでしたが1847年フランス軍に降伏します。これによってフランスによるアルジェリア植民地化は完成し1848年フランスは憲法でフランス領の一部と宣言します。降伏後のアブド・アルカーディルもちょっと興味があるのですが省略します。彼の名を冠した通りやモスクはアルジェリア各地にありますが、最も有名なのが後日紹介予定のコンスタンティンのモスクです。

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「アルジェリア」編 アルジェ 街角風景2

2019年06月11日 08時08分04秒 | アルジェリア

 

 こんなところがありました。伊藤さんのメモには「望郷の映画を彷彿させる階段」とありました。

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「アルジェリア」編 アルジェ 街角風景1

2019年06月11日 08時03分55秒 | アルジェリア

 

 街中をぶらぶらしました。

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「アルジェリア」編 アルジェ 港町とアフリカ・ノートルダム教会4

2019年06月08日 08時11分48秒 | アルジェリア

 

この教会から120m眼下の港町です。勿論海は地中海です。

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「アルジェリア」編 アルジェ 港町とアフリカ・ノートルダム教会3

2019年06月08日 08時08分26秒 | アルジェリア

 

 数人の女子学生らしきグループが勉強(遊び?)に来ていたのでカメラを向けるとみんな逃げましたが、一人だけ応じてくれました。向こうに見えるのは逃げた一人です。

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「アルジェリア」編 アルジェ 港町とアフリカ・ノートルダム教会2

2019年06月08日 08時05分40秒 | アルジェリア

 

 フランス統治時代の1852年に着工、1872年に完成しました。なかなかの建物ですね。現在カトリック信者はほとんどいないので2006年にEU,フランス政府、アルジェ市が修復などの費用を分担することになりました。これもちょっと面白いですね。

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「アルジェリア」編 アルジェ 港町とアフリカ・ノートルダム教会1

2019年06月08日 08時02分03秒 | アルジェリア

 アルジェリア入国は首都アルジェでした。と言うわけで最初の観光地はアルジェでした。午後、2時間ほどの観光で、翌日は飛行機でアンバナへ向かいました。その後各地をめぐり最後の2日間アルジェに戻るという行程でした。そこで最初のアルジェ観光の紹介から始めます。

 最初に訪れたのは120mの下の港町を見下ろすところにあるノートルダム教会でした。

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「付録」珍しい?マリア像

2019年06月05日 08時15分47秒 | スペイン・ポルトガル

 

2009年5月28日に紹介したマリア像ですがちょっと珍しいと思うので再録紹介します。スペインのバルセロナ美術館で珍しく撮影を許可されたものです。

 以下のようなコメントがありました。

 「ブログの写真の件、私も何も分かりませんが、写真を見てパッと思い出した
話があります。 それは何かの理由で、父(か誰か)が牢屋に入れられ、
病気かあるいは食事が満足に与えられなかったのか、体調優れず、
また見舞いに食べ物も差し入れできず、それで幸いにもおっぱいが出るので、
面会に行って飲ませたというものです」

コメント (1)
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「アルジェリア」編 カトリック教会とヨセフ、マリア フーコーの修道院4

2019年06月05日 08時12分49秒 | アルジェリア

 

 イエスが父ヨセフの大工仕事を手伝っている(習って)親孝行の構図ですね。この構図を見たのはこれで3回目です。スペインのバルセロナにあるサグラダファミリアが最初でした。添乗員の堤さんが教えてくれました。彼の話ではこの構図は珍しくあとは彼自身の記憶によればイスラエルのナザレにあるヨセフ教会で見ただけと言うことでした(2009年5月26日紹介)その後イスラエルに行く機会があってナザレのヨセフ教会で堤さんの指摘通りの構図を見ました。(2010年6月1日紹介)マリア受胎のときのヨセフ苦悩ぶりの図も初めてでした。(2010年5月30日紹介)

 私の妄想。なぜこの地のカトリック教会にはヨセフが頻繁に登場するのか?それはイスラーム圏では男性軽視では信者を獲得できないから。

 ついでに余談話。ヨセフがカトリックによって聖人とされたのは1870年のことです。マリアは? サグラダファミリアのガウディは最近聖人に列せられることになったそうです。

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「アルジェリア」編 カトリック教会とヨセフ、マリア フーコーの修道院3

2019年06月05日 08時10分28秒 | アルジェリア

 

 前回紹介したと同じ構図ですね。

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「アルジェリア」編 カトリック教会とヨセフ、マリア フーコーの修道院2

2019年06月05日 08時07分59秒 | アルジェリア

 

 ここには現在70歳以上の4人の修道士が住んでいます。その一人でフランス人です。

 

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「アルジェリア」編 カトリック教会とヨセフ、マリア フーコーの修道院1

2019年06月05日 08時05分08秒 | アルジェリア

  

 オアシス都市ベニアベス(後日紹介)にあるフーコーが最初に建てた修道院を訪れました。

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「アルジェリア」編 カトリック教会とヨセフ、マリア フーコーの墓地の教会3

2019年06月02日 08時12分56秒 | アルジェリア

 

 教会の主祭壇です。無知な私には初めてでした。ヨセフとマリアが同時に対等に祀られているのを見たのは。左が父ヨセフと幼子イエス、右が母マリアと幼子イエスですね。私の今回の旅行の最大の収穫の一つでした。中央の十字架の下にあるシンボルマークは聞いたのですが忘れました。

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「アルジェリア」編 カトリック教会とヨセフ、マリア フーコーの墓地の教会2

2019年06月02日 08時10分17秒 | アルジェリア

 

 教会内部にあるフーコーの写真です。

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「アルジェリア」編 カトリック教会とヨセフ、マリア フーコーの墓地の教会1

2019年06月02日 08時06分55秒 | アルジェリア

 

 シャルル・ド・フーコー(1858~1916)はフランス人の聖職者でアルジェリアで宣教に努め現地異教徒の信頼を得ていたがAssekremで暗殺され、遺体はサハラ砂漠のオアシス都市エルゴレア(後日紹介)に埋葬されました。彼が生涯に改宗できたのは1人だけだったそうですが2005年聖人に列せられました。写真はエルゴレアにあるお墓と教会です。

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