風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

豊かな時の流れ

2013年06月01日 | 徒然に日々のことを
         『論語・唐詩への誘い』


民間にはほとんど使用許可の下りないのですが足利学校で、論語の会がありました。
去年11月に初めて論語の会に出席し、敬愛する先生の一人になった須藤明実先生の主宰する漢文学窓『里仁』全体会です。

ビルの5階にある学びピアで読み解かれる論語とは違い、開け放たれた障子からさわやかな風が流れ込み、緑の背景の中広い座敷に座っていると、固まった心が解放されてそのあたりを喜んで浮遊しているようなきぶんになる。

初めて参加した人にもわかりやすく、心を込めてお話しくださる須藤先生のお話は、頭で理解するのではなく、直接心に響いてくる。

教科書は、「論語・唐詩への誘い」
        §_語の名句二十・唐詩の名篇十ー
                編著者 須永 美知夫
                発刊  足利学校  

まず、先生の大好きな杜甫の漢詩三題を味わう。

絶句江碧してに)色鮮やかなこの詩の美しさを、故郷への思いの強さを語る

月夜  他に例を見ない妻への細やかな情愛をまっすぐに、美しく歌う

春望  国破れて山河ありのフレーズについて、奥の深さは歳を重ねることによって詩の表現されていることをより深く感じるようになること

通り一遍の素通りをしないで、人生を投影しながら一つの詩を、頭ではなく心で感じることの感動の深さを教えられました。

その、読み説きのあとで、拙吟を続けて三題。
先生の読み説きの後でさせていただくと、深いところで感じてその感覚の中で自由に羽ばたける気がするのです。
心の感じたままに吟詠することの心地よさを味あわせていただきました。
「すなわち、これを同化という」と、藤沢黄坡先生のおっしゃっているところなのかなぁと、思うのでした。


論語の講話は、学んだことの無い者にも、いつかどこかで耳にしたことのあるような章句から取り上げて下さって、初心者にも入りやすい形で、始まりました。
まず、素読唱和ののち、論語の名句二十章を須藤明実先生の読み説きして頂きました。

学で始まり、学で終わる論語の初章は、「学んで時に之を習う。また説(よろこ)ばしからずや。時には、いつもという意味であること、改めて知るのでした。
先生の言葉は、かみ砕いて伝えてくださる。それぞれの習熟度に届く言葉で説明をしてくださっているのに、気が付く。
たくさんお話しいただいたのに、残っている言葉が少ないのは、私の未熟さなのだが、同じように、机を並べて聞いていて、きっと、重みのある言葉として、残っている人もいらっしゃるのだ。
だから、良く聞く言葉に、「簡単なことでも何回聞いても、飽きず聞いていられる」との感想はそれぞれの持ち分にあったものが、心に残るような話し方をされているのだと。





一時間半のお話ののち、散会自由行動ののち、宿舎のホテルへ。

自由時間は、鑁阿寺(ばんなじ)を拝観し、市立美術館の絵本の原画展を鑑賞。町を歩いていると、ぺたんこ祭りのご朱印を額に押してもらった幼児と行き交ったり、紬を来た女性とすれちがったり、楽しい街歩きでした。

ホテルは、渡良瀬川のほとりにあり、気の良いご夫婦の経営するビジネスホテルでした。
お蔭で経費が抑えられたのは、ありがたかった。

夕食は、先生を囲んで、自己紹介から始まる和気藹々としたもの。
論語のことばからくる堅苦しいイメージは、どこにもない。ひとえに須藤先生のお人柄によるものらしい。

明日は、早いからと、9時にはお開きになり、一人部屋へ。
テレビもつけず、お茶もいれないで、今日の資料を読み返す。
何にも邪魔されない時間は、至福の時。

窓からは、涼しい風と共に、野球部の週末合宿の密かな声が聞こえてくる。

よきかな、よきかな。



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