会員さんが一人都合でお休みのため、練習は、私もいれて三人。
最近休会になった方もいて、寂しさがひとしおです。
今日は、会員さんの希望で、「弘道館に梅花を賞す」を習いました。
お名前を頂いたときの出典の漢詩ということで、一刻も早くならいたいとのことでした。
この会場には、コピー機がありませんので、応急処置で、副読本と縮刷本とを交換してのお稽古です。
縮刷本で、練習をしていたのは、ずいぶんと昔の話です。
私が縮刷本を持ち、私の副読本を会員さんの一人が持ち、所望をした会員さんは、お名前の出典についての説明をするために、漢詩のテキストと副読本のコピーを送っておりましたので、それを持っています。
会員さんが副読本を、私が縮刷本を持って予習なしの指導は、かなり勇気のいることでした。
縮刷本での練習を懐かしく思いかえしました。
ご自身の吟号の「香文」に思いをはせ、お名前を付けてくださった先生に感謝し、詩吟とこの漢詩への愛を深めた(?と思う)今日の練習でした。
日頃接している教場の指導者は、日々こまごまと指示を出し何かと世話をするものですから、自ずと愛着を増してくるもので、実力以上の尊敬を集めることができます。
まるで、幼児が「ママって、すごいね!何でもやってくれて、何でも知っていて!」というように。
その後ろにどっしりと控えている会長は、さながら、出張がちで、そばに居ない父親の如くで、そのありがたさと、深い愛は、語る人がいなければ、子供のママへの熱いまなざしは、そこでで止まってしまう。いわば、独り占め。
父親の悲哀でありますねぇ。
今回、その、いつもはいない父親の存在を見つけたのが、我が夢松風の吟号を頂いたお二人の会員さんです。その一部始終を見ていた、間もなく二段の昇段試験を受ける会員さんも、何かを感じてくださったことでしょう。
大きければ大きいほど、その全容は見えず、その実態を掴むことができません。
井の中の蛙は、自分を一番偉いと感じ、井戸の外の世界を知ろうとせず、チャンスを逃がす。
それは、それで、知らなければ幸せというものかもしれませんが、もったいない気がいたします。
子供が、ママの存在の後ろに、父親を発見し、その偉大さを実感するのは、どんなタイミングなんでしょうねぇ。
ママでしか有り得ない私は、何ができるのでしょうか。
最近休会になった方もいて、寂しさがひとしおです。
今日は、会員さんの希望で、「弘道館に梅花を賞す」を習いました。
お名前を頂いたときの出典の漢詩ということで、一刻も早くならいたいとのことでした。
この会場には、コピー機がありませんので、応急処置で、副読本と縮刷本とを交換してのお稽古です。
縮刷本で、練習をしていたのは、ずいぶんと昔の話です。
私が縮刷本を持ち、私の副読本を会員さんの一人が持ち、所望をした会員さんは、お名前の出典についての説明をするために、漢詩のテキストと副読本のコピーを送っておりましたので、それを持っています。
会員さんが副読本を、私が縮刷本を持って予習なしの指導は、かなり勇気のいることでした。
縮刷本での練習を懐かしく思いかえしました。
ご自身の吟号の「香文」に思いをはせ、お名前を付けてくださった先生に感謝し、詩吟とこの漢詩への愛を深めた(?と思う)今日の練習でした。
日頃接している教場の指導者は、日々こまごまと指示を出し何かと世話をするものですから、自ずと愛着を増してくるもので、実力以上の尊敬を集めることができます。
まるで、幼児が「ママって、すごいね!何でもやってくれて、何でも知っていて!」というように。
その後ろにどっしりと控えている会長は、さながら、出張がちで、そばに居ない父親の如くで、そのありがたさと、深い愛は、語る人がいなければ、子供のママへの熱いまなざしは、そこでで止まってしまう。いわば、独り占め。
父親の悲哀でありますねぇ。
今回、その、いつもはいない父親の存在を見つけたのが、我が夢松風の吟号を頂いたお二人の会員さんです。その一部始終を見ていた、間もなく二段の昇段試験を受ける会員さんも、何かを感じてくださったことでしょう。
大きければ大きいほど、その全容は見えず、その実態を掴むことができません。
井の中の蛙は、自分を一番偉いと感じ、井戸の外の世界を知ろうとせず、チャンスを逃がす。
それは、それで、知らなければ幸せというものかもしれませんが、もったいない気がいたします。
子供が、ママの存在の後ろに、父親を発見し、その偉大さを実感するのは、どんなタイミングなんでしょうねぇ。
ママでしか有り得ない私は、何ができるのでしょうか。