風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

足立区民大学塾「菜根譚」

2019年10月17日 | 論語と
今日は、三日目最後の講義です。

先週は、夢青葉の教室と重なったため、出席かないませんでした。

今日は、レジュメの講座プログラムによると、
  『菜根譚』に学ぶべき人生の姿勢をみずから問う
         ~後集の人生訓からより一層深い生き方を学ぶ~

とあります。

先生は、第一回目と同じベレーをかぶって、元気そうに登場。
興に乗ってくると、ご主人さまに素読の先導を任せた前半と違って、ご自身が大きな声で、先導をなさいました。

安心しながら、講義を聞いていました。

頂いたプリントの私の書き込みは、「あぁ、そうだなぁ~」と、「う~~~ん」である。

今日の講義は、ビシバシと身にこたえるものでした。
今までは、そうでなくても無い頭に、文字として知識として受け取っていただけだと、思うことしきり。
言葉が、迫ってきて、痛い。                 須藤先生自筆


   菜根譚 後集 三
鴬花茂くして山濃やかに谷艶なるは、
すべてこれ乾坤の幻境なり
水木落ちて石痩岸枯れて
纔かに天地の真吾を見る
                           
 
春の景色は、本当にあでやかできれいだけれど、すべてが一時の仮の姿、夢の姿。
 晩秋、乾き、枯れ、、痩せてしまった時こそ、天地の真実の姿があるのです。
 
人もまた、すべてをはぎ取った後に、真の姿あり。人の人たる姿とは?


年を取り、髪が白くなり、皺も増えて、背中も丸くなった今だから、紅を差してみようかと、思い始めた時に、この言葉は、無情よねぇ。

でも、こんな時に出会って、胸に刺さってしまったことを、これから私はどう処理したらよいのだろう?

今までのように、知識として、頭の隅に置いておきたかった。

通り過ぎてしまいたい言葉に、立ち止まってしまったなぁ。


コメント