風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

訃報

2006年01月18日 | チンゲル亭裏日記

「母さんのページ」 http://www.occn.zaq.ne.jp/kaasan/
の「なかちゃん」が一昨日永眠されました。
年賀状では、にこやかな姿を見せていただいて今年もお元気で年が明けたことを喜んだばかりでしたのに。

母さんの介護の様子はページでゆっくり読んでいただくとして、なかちゃんが居たおかげで、母さんがこのページを開き、そして、そのページを見つけたどり着いた事から、長いお付き合いが始まりました。
老人介護の真っ只中で、このページのあったおかげでどれだけ励まされたことか、そして、掲示板に集まる事によって絆が深まり、お友達も出来ました。

やがてネット上だけでなくお互いの素顔を見せ、果ては、家にお邪魔し泊まりに行ったり来たりするほどの仲に発展してゆきました。

今は、私は介護を卒業して、外国に住むことになりましたが、ネットのおかげで寂しい思いもせず、介護時代の激しい思いを吐き出させてもらう関係ではなくゆったりとしたお付き合いをさせてもらっています。

すぐにでも飛んで行きたいところですが、こちらから手を合わさせて頂きます。

「なかちゃん」安らかに逝かれたそうで何よりでした。
きっと満足されて旅立たれた事でしょう。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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これではなんだか

2006年01月15日 | チンゲル亭裏日記

帰ってきて3週間がたちました。
なんだか、療養のために帰ってきたような毎日でした。
優しい海は、そんな私にとても優しく、なるべく傍に居てくれるように考えてくれていたようです。
昨夜は、お花の新年会に続いて、彼とその友達といっしょにスキーに出かけました。
娘も彼も初すべりだといって喜んでいました。

私に体調が回復するにつれて、私も海もちょっぴりきつい言葉が出るようになって、これが当たり前の親子だと思うのです。
体調良好であれば、こんなに長く優しい、穏やかな時間は続かなかったかと思うのです。
いくつになっても、母は私のことを子ども扱いして、、、思っていましたが、それと同じ事を言ったりしたりしているのです。

大人になった娘に対して、母と同じ事をしている。絶対母のようにはしないぞと心に決めていたのに、親子ってしょうがないものなのだと苦笑しています。

いっしょに寝起きしていると気になることをつい言いすぎてしまうようです。
あまり嫌われないうちに帰らねばと思うのですが。
せっかく帰ってきたというのに、誰にも会わずに帰るわけには行かず、そろそろ連絡を取り合わなければと思っています。
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絵画コンクール

2006年01月12日 | UBから
UBのJICA事務所からHP紹介のメールが届きました。
よろしければ、ご覧ください。

                ☆

皆様からご協力頂きました「絵画コンクール」について
下記の通り、JICAモンゴル事務所のホームページにて紹介させて
頂きましたので、お知らせします。

             記:
モンゴル事務所 > トピックス&イベント情報
 JICAモンゴル事務所主催 絵画コンクール
http://www.jica.go.jp/mongolia/tpl/topics.html
http://www.jica.go.jp/mongolia/mon/topics/01.html (モンゴル語)

是非、モンゴル語のページもあわせてご覧ください。
よろしくお願い致します。
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実は腰が

2006年01月11日 | チンゲル亭裏日記

今朝、やっと腰の痛みが取れました。
ボヤントオハー空港で、20キロのスーツケースを計測台に載せるとき腰に違和感を覚えました。

日本の方が寒くて体を硬くしていたせいでしょう、無駄に力がかかって筋肉痛になってしまったようです。

大聡怩Iと張り切っていたのですが、聡怩ヌころではなく自分のことをするのが精一杯。
せめてもの事は、人の手を借りなくてもよい程度であった事です。

ほんの少しの事で、2週間あまりかかった事に、ちょっとショックです。
その間に、テーピングをしてくれる接骨院を見つけて2度ほど通いました。
お正月の休みを挟んだので、2度しかいけなかったのですが、それでもゆっくり休むことで回復できた事は、まだ、がっかりする事は無いと自分を慰めたのです。

年を重ねて体がしなやかさを失ってほんの少しの事で、痛みを覚える事、長年続けてきた体の癖が、ここにきて出てきているのでした。

体を動かし、しなやかさを取り戻さねば。
心のしなやかさは?どんなようすなのかな?
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娘の新居で新年会

2006年01月10日 | チンゲル亭裏日記

今は、もう無いHP「鼓太郎がやってきた」で使っていた娘たちの名前を復活します。
長女は海、次女は空でした。
長女の彼は、えーっとなににしましょう。鴎にしましょう。
次女の夫は、鷹にしましょう。

空と鷹の家に海と鴎と私とで、デザートのケーキを持っていそいそと出かけました。vgbfffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffbわ
        ↑
席をはずした隙に鼓太郎がキーボードに乗って書きました。
海が中国の柳州に派遣されていたときに、メールを書いていたときにも同じことがありました。
そのまま、海に鼓太郎からのメッセージよと言って送信したら、とても喜びました。
海は、子供の頃の鼓太郎は写真でしか知りません。
今、鼓太郎と留守宅を守ってくれていますが、「子供の頃の生鼓太を抱っこしたかった」とよく言います。

話がそれました。
娘の家に招かれていく事がこんなにうれしくわくわくするとは思いませんでした。

お客様を招く事がほとんど無い我が家で育った空ですから、身内とはいえ気楽にと言うわけには行かなかったようです。
昨日は、大学ラグビーを観戦したあと、二人であれこれあたまをなやませてくれたようです。

寒がりで膝の痛い私のために、ストーブを背負って楽に足が伸ばせるすわり位置をかんがえてくれたり、海の好きなトマトとモッツァレラチーズのサラダを作り、お肉の好きな殿方のためにすき焼きにしたそうです。
鴎の持ってきたシャンパンで乾杯、楽しいなべを囲みました。

それぞれのすき焼き談義に盛り上がり、黒ビールの娘たちと同じ色の麦茶を飲む私と同じペースで盛り上がりました。

あっという間に、夕暮れになりました。
明日は、5時起き出勤の鷹さんのために長居は無用と思いつつ予定をはるかにオーバーして居続けました。

新年のご挨拶と、結婚式にはいろいろお世話になった鴎さんに延び延びになっていたお礼もして、気になっていたことがすべて終わりました。

空は、今日の楽しい集まりに味を占めて、人がたくさん集まる家になるといいなと申しておりました。
よかった。

明日から海の仕事も始まります。
私も、海とべったり傍に居て、空のあったかい家庭をのぞいて、すっかり安心し気持ちが安定してきました。
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娘たち

2006年01月03日 | チンゲル亭裏日記

昨夜遅く、次女が夫君に送ってもらって我が家に到着。
長男の嫁なのに、お元日の初詣をし夕食をいっしょにしただけで、こちらによこしてくれました。
2日は、親戚が集まっていると言うのに、そのお手伝いもせず、わたしが帰っているのだからと送り出してくださったお母様に感謝。

結婚を機に、辞めるはずだった仕事も慰留され、残業免除で続けています。
体力の無い娘の事ですから、疲れるようで、彼に不自由をかけているようです。
きっと、一日も早く辞めて欲しいと思っていることでしょう。
娘のわがままを聞いてくれている彼にも感謝。

女三人と鼓太郎がリビングに寄り添って、一日食べたり飲んだり、テレビを見たり、おしゃべりをしたり。
家に居るのが最高と思う次女とわたし。せっかく、次女が居るのだからどこかに出かけようと言う長女と。出かけられない鼓太郎と。
3対1で、お家でのーんびりさせてもらいました。

駅伝派の長女、ラグビー派の次女。
テレビも駅伝を録画し、ラグビーをオンタイムで見ることに。
テレビの上に陣取った鼓太郎は、首を長くして、落ちそうになるまで身を乗り出してラグビーのボールを追っていました。
鼓太郎もラグビー派でした。(笑)

煮物の味が薄くなって、いつもの味ではないと言いつつ、「あ、昨日よりおいしくなってる」とおいしいもの大好きの長女が一言。
食べる事にあまり執着の無い次女は、「何もしないで食べられるなんて幸せ」と言いつつ「あ、れんこんがおいしい」と珍しく一言。

寒がりの次女に、着ていた半纏を着せ鰍ッ、足元にはフリースをかけてやり、お嫁に行った次女を何くれとなく世話をする長女。

鼓太郎の目つきもすっかり穏やかになり、親子三人と一匹水入らずがこんなに静かに自由に時が過ぎるものかと思う。
水をくぐってやわらかくなった、程よいゆとりのある木綿のTシャツをまとっているような。
娘の帰ってくる実家と言うのはこういうものなんだなぁ。
華やかな事を好まない夫の影響で、華やかさにかけるのであるが。
女だけと言うのも、こんなにのびのびするものなんだなぁ。
あちらこちらに、もうしわけなくおもいつつ、じっかん。。。
普段着のお正月をありがとう。
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元旦

2006年01月02日 | チンゲル亭裏日記

   あけましておめでとうございます


 今年もよろしくお願いいたします。
 家族揃って、健康に新年を迎えられました事を感謝いたします。

 そして、皆様が健やかに過ごされますようにお祈り申し上げます。

                   ☆チンゲル亭 亭主☆
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元旦

2006年01月01日 | 日本から
   あけましておめでとうございます

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紅白をみながら

2006年01月01日 | チンゲル亭裏日記
新しい年を迎えようとしています。
モンゴルと日本でも3箇所に分かれて、それぞれがそれぞれのお正月です。

祖母と父は一人ずつ、娘の一人は伴侶と。もう一人の娘は母と鼓太郎と。
娘は祖母の元に行くと言ったのですが、祖母に断られました。
母も娘を祖母の元に行かせて鼓太郎と二人のお正月のつもりでした。
祖母は、一人のお正月は、寂しい事だろう。

一人で迎えるお正月を父も寂しく思っていることだろう。
娘にメールを送ってくれるだろうか。

母親が傍に居るのだから、俺からメールなんて、、、と言うのですが、母は母、父は父であることを判ってくれているのだろうか。

出張勝ちの夫で、留守には私が夫の代わりを務めていたと思っている節があるのですが、決してそうではない。
父は母の、母は父のかわりを勤める事は出来ないのです。

今だからこそ、父として娘に示して欲しいものがあるのです。
言葉で示さなくてもわかるのですが、それでも、示さねばならないとき、判らないから示すのではなく、わかっていても示して欲しいとき、示さねばならないときがあるのです。

父の思い。
娘の思い。
母の思い。

それぞれが、すれちがうことのないように。
思いが、その思いのとおりに伝わる事が、どんなに大切な事か。
母と娘ではなく、父と娘だからこそ、すれ違ってはいけないのです。

新年に、願う事は、ただひとつ。

思いが伝わること
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