大阪に行く時、国立文楽劇場で公演がある時には、日本橋のビジネスホテルに宿泊し、時間を調整して文楽を見ることにしている。
東京の半蔵門の国立劇場とは違った、やはり、本拠地としての文楽座の雰囲気があり、周りから聞えてくる大阪弁が、文楽ムードを盛り上げてくれるのである。
それに、2階にある入口へのエスカレーター横ロビーの文楽茶屋の古風な田舎家の佇まいや、その裏手にある文楽展示場、それに、エントランス・ホールの売店あたりの雰囲気からして既に何となく芝居小屋のムードが漂っていて中々感じが良い。
その日は夜の部を見て、翌日、昼の部を見て東京に夜に帰ったのだが、前日雨が降っていたので何となく鬱陶しくて、久しぶりの大阪だったが芝居の後大阪の夜の街を歩くのを止めた。
翌日は、昼の公演が11時からだったので、遅い朝食を近くの喫茶店で取って、宗右衛門町から道頓堀に出て難波駅あたりまで歩いてみた。
夜の賑わいとは違って、朝の歓楽街は配達用のクルマや掃除人のせわしそうな動きだけが目立ち、雨戸やシャッターが閉められた店がずらりと並んでいるだけで人通りも少なく何となく侘しい。
日本橋駅から難波駅まで、線路の上をナンバウォークと言う2筋の地下街が走っている。
難波駅に近付くほど店舗の雰囲気が良くなる感じだが、私は、何時も、朝、ここにある英国屋と言う喫茶店で朝食をとる。俗に言うモーニング・サービスだが、かなり広くて室内装飾も落ち着いた雰囲気で、禁煙席がハッキリ分離しているので落ち着く。何よりも良いのは、クラシック音楽が流れていて、新聞などゆっくり読みながら憩えることで、ウエッヂウッドのストローベリー・カップで飲む珈琲の味も悪くはない。
法善寺横町の朝は、人通りが全くないが、既に、綺麗に水が打たれた石畳が光っていて感じが良く、横手の水かけ不動から漏れてくる線香の香りが清々しくて、夜の雰囲気とは様変わりである。
このほんの数十メートルの細い路地である法善寺横町の雰囲気は、雑でガラの良いとは言えない極めて庶民的な道頓堀界隈の中でも特異なムードをかもし出している。
苔むした水かけ不動に向かって手を合わせている婦人が居た。
道頓堀通りにある「くいだおれ人形」の前で、観光客が代り番こに写真を撮っている。この口絵写真は、修学旅行の中学生たちで、経営不振で店仕舞いすると言うので急に人気が出た。
入ったのかどうか記憶はないが、昔懐かしい和風の洋食屋で、食生活に革命が起きている今日、時代の流れについて行けなくなったのであろうか、庶民に愛され続けた老舗が消えて行く。
ところで、このくいだおれ人形とくいだおれの商号に人気が出て引き取りたいと言うオファーが沢山来ているのだと言う。
ところで、阪神が優勝したらファンが飛び込むと言う名所の戎橋の袂にある「かに道楽本店」の大きなかにの看板は相変わらず動いている。
ところが、やはり、時代の流れか、その向かいの角には、いつの間にか、新しく、TSUTAYAが派手な店を構えている。
千日前通りにはビッグカメラが大きな店舗を構えており、すぐ近くに日本橋の電気街が繋がっているので、何の不思議もないのだが、道頓堀も変わったなあ、と言うのが実感である。
戎橋を渡って心斎橋筋に入る手前の橋の袂に、これも全く異質な建物だが、建築家の高松伸が建築学会賞を取った超近代的なキリンプラザ大阪が建っている。
昔、高名な英国の建築家が見たいと言うので案内したので良く覚えているが、日本と言う国は、全くダボハゼのようで、都市計画や景観にたいする配慮など全く関係なく、どんな所でも、どんな建物でも建築許可を下ろしている不思議な国であると思った。
この心斎橋筋を大丸とそごうのある心斎橋まで歩いた。
開店前だったので、あっちこっちの店がシャッターを上げ始めた時間だったのだが、随分俗化したなあ、と言うのがこれも実感であった。
途中で見た目ぼしい店はユニクロであったが、昔は、一寸、女性たちがおめかしして「シンブラ」するのが楽しみで、高級な店舗や老舗が店を張っていて、大変な賑わいであった。
帰りには、心斎橋から裏通りを通って日本橋に向かったが、裏町には小さな店や飲み屋や飲食店などが犇いている感じであったが、心なしかシャッターを下ろして閉店した感じの建物もかなり見かけた。
阪神阪急の強い大阪駅界隈は賑わっているようだが、やはり、大阪の地盤沈下は、否めないのかも知れない。
東京の半蔵門の国立劇場とは違った、やはり、本拠地としての文楽座の雰囲気があり、周りから聞えてくる大阪弁が、文楽ムードを盛り上げてくれるのである。
それに、2階にある入口へのエスカレーター横ロビーの文楽茶屋の古風な田舎家の佇まいや、その裏手にある文楽展示場、それに、エントランス・ホールの売店あたりの雰囲気からして既に何となく芝居小屋のムードが漂っていて中々感じが良い。
その日は夜の部を見て、翌日、昼の部を見て東京に夜に帰ったのだが、前日雨が降っていたので何となく鬱陶しくて、久しぶりの大阪だったが芝居の後大阪の夜の街を歩くのを止めた。
翌日は、昼の公演が11時からだったので、遅い朝食を近くの喫茶店で取って、宗右衛門町から道頓堀に出て難波駅あたりまで歩いてみた。
夜の賑わいとは違って、朝の歓楽街は配達用のクルマや掃除人のせわしそうな動きだけが目立ち、雨戸やシャッターが閉められた店がずらりと並んでいるだけで人通りも少なく何となく侘しい。
日本橋駅から難波駅まで、線路の上をナンバウォークと言う2筋の地下街が走っている。
難波駅に近付くほど店舗の雰囲気が良くなる感じだが、私は、何時も、朝、ここにある英国屋と言う喫茶店で朝食をとる。俗に言うモーニング・サービスだが、かなり広くて室内装飾も落ち着いた雰囲気で、禁煙席がハッキリ分離しているので落ち着く。何よりも良いのは、クラシック音楽が流れていて、新聞などゆっくり読みながら憩えることで、ウエッヂウッドのストローベリー・カップで飲む珈琲の味も悪くはない。
法善寺横町の朝は、人通りが全くないが、既に、綺麗に水が打たれた石畳が光っていて感じが良く、横手の水かけ不動から漏れてくる線香の香りが清々しくて、夜の雰囲気とは様変わりである。
このほんの数十メートルの細い路地である法善寺横町の雰囲気は、雑でガラの良いとは言えない極めて庶民的な道頓堀界隈の中でも特異なムードをかもし出している。
苔むした水かけ不動に向かって手を合わせている婦人が居た。
道頓堀通りにある「くいだおれ人形」の前で、観光客が代り番こに写真を撮っている。この口絵写真は、修学旅行の中学生たちで、経営不振で店仕舞いすると言うので急に人気が出た。
入ったのかどうか記憶はないが、昔懐かしい和風の洋食屋で、食生活に革命が起きている今日、時代の流れについて行けなくなったのであろうか、庶民に愛され続けた老舗が消えて行く。
ところで、このくいだおれ人形とくいだおれの商号に人気が出て引き取りたいと言うオファーが沢山来ているのだと言う。
ところで、阪神が優勝したらファンが飛び込むと言う名所の戎橋の袂にある「かに道楽本店」の大きなかにの看板は相変わらず動いている。
ところが、やはり、時代の流れか、その向かいの角には、いつの間にか、新しく、TSUTAYAが派手な店を構えている。
千日前通りにはビッグカメラが大きな店舗を構えており、すぐ近くに日本橋の電気街が繋がっているので、何の不思議もないのだが、道頓堀も変わったなあ、と言うのが実感である。
戎橋を渡って心斎橋筋に入る手前の橋の袂に、これも全く異質な建物だが、建築家の高松伸が建築学会賞を取った超近代的なキリンプラザ大阪が建っている。
昔、高名な英国の建築家が見たいと言うので案内したので良く覚えているが、日本と言う国は、全くダボハゼのようで、都市計画や景観にたいする配慮など全く関係なく、どんな所でも、どんな建物でも建築許可を下ろしている不思議な国であると思った。
この心斎橋筋を大丸とそごうのある心斎橋まで歩いた。
開店前だったので、あっちこっちの店がシャッターを上げ始めた時間だったのだが、随分俗化したなあ、と言うのがこれも実感であった。
途中で見た目ぼしい店はユニクロであったが、昔は、一寸、女性たちがおめかしして「シンブラ」するのが楽しみで、高級な店舗や老舗が店を張っていて、大変な賑わいであった。
帰りには、心斎橋から裏通りを通って日本橋に向かったが、裏町には小さな店や飲み屋や飲食店などが犇いている感じであったが、心なしかシャッターを下ろして閉店した感じの建物もかなり見かけた。
阪神阪急の強い大阪駅界隈は賑わっているようだが、やはり、大阪の地盤沈下は、否めないのかも知れない。